永島慎二「フーテン」

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2008年6月10日発売
著者:永島慎二
発行者:古川益三
発行:まんだらけ出版
ISBN978-4-86072-058-2 C0979
A5判 / 496P / ハードカバー函入
本体2500円+税
「フーテン」時のお弟子さん3人(村岡、向後、三橋)による「若者たち(黄色い涙)」鼎談も16ページ併禄。

著者

本名 永島真一。
1937年7月8日 東京北区滝の川生まれ。 1952年発表の「さんしょのピリちゃん」でデビュー。代表作に『漫画家残酷 物語』『フーテン』『柔道一直線(原作・梶原一騎)』がある。 その詩心は森安直哉など多くのフォロアーを呼ぶ。
2005年6月10日死去。
内弟子・向後つぐお
・・・やっぱり先生のところにお伺いしている間に、もうこの先生しかいないだろうと思ってたし。 で、あの『陽だまり』にね、物凄い打たれちゃったっていうか。 例えば、「トーフー」っていうラッパの音がね読んでいると、 夕方でラッパの音が聞こえちゃうんですよ・・・
内弟子・三橋乙揶(シバ)
・・・何か、なんなんだろう、話だけじゃなくて、もう1カット、例えば、夏にジェット機が「ビーン」って飛んでるシーンとかね。なんか妙な、それだけでもなんかこう ・・・あったよね。絵の密度っていうの?細かいっていうんじゃなくて・・・
密度ある絵だったと思いますよ。
永島慎二の私小説的漫画作品「フーテン」はこれまでに四度単行本化されており、今回が五度目の上梓となる。

最初に単行本としてまとめられたのは、連載が終了してから二年後の1972(昭和47)年5月。 二百八十部の限定版として、手刷りの木版画が一枚付いた、二重函入り五百ページ強の豪華上製本としてであった。版元は青林堂。

そしてほぼ同時期に、同じ青林堂より上下巻に分冊されてその限定本の普及版が発売され、これはその後何度も重版され、最もよく知られた「フーテン」の単行本となる。
三度目に発売されたのは1976(昭和51)年8月。折しも第一次漫画文庫本ブームであり、講談社漫画文庫より上中下の全三巻として刊行された。

四度目は1988(昭和63)年9月に筑摩書房のちくま文庫より全一冊のやはり文庫版としての発売。 これらの単行本は、作品外の永島のエッセイなどのページや写真のアルバムのページの有無はあるが、本文に関しては全くの同内容であり、全て最初の青林堂の限定版に準じている。

五度目の刊行となる本書では、それらの単行本とは異なるアプローチでの編集を試みた。その違いについて説明するには、まず本作「フーテン」の初出について述べなければならない。

「フーテン」の連載が開始されたのが、虫プロ商事発行の『COM』の1967(昭和42)年4月号。ご存じのとおり、 『COM』は手塚治虫が創刊した「まんがエリートのためのまんが専門誌」で、 「フーテン」は手塚の「火の鳥」と石森章太郎の「ファンタジィワールド ジュン」と並び、同誌の三本柱の一つとなった人気作品であった。

ところが、永島がいっさいの仕事を休んで約二ヶ月のアメリカ旅行へ出発したため、 1968(昭和43)年3月号で連載が中断(本書266ページ参照)。 帰国後も、かねてから抱いていた漫画への不信、そして自らの漫画家生活の姿勢に対する疑問に縛られ、連載が再開されることはなかった。

その後、仕切り直しの形で(本書270ページから273ページを参照。この四ページは今回が単行本初収録となる。)、 秋田書店発行の『プレイコミック』の1969(昭和44)年6月10日号より『COM』連載分を再録する形で再登場。 同年12月13日号より新作となる続編がいよいよ連載開始される。

しかし、永島は糖尿病に悩まされるなどしたため、『プレイコミック』での連載も不定期になり、 結局、1970(昭和45)年7月11日号をもって休載(本書444ページ参照)。二誌にまたがった「フーテン」は未完のまま終了してしまう。

このように、永島が漫画家、そして創作者としての苦悩と闘いながら発表した「フーテン」であるが、 『COM』発表分を『プレイコイミック』に再録連載するにあたって、ページ割の都合から、各話の区切りの変更、一部のコマのカットや描き足し、 そして扉ページの描き直しといった手直しの作業が永島の手によって行われている。

そして、青林堂版の単行本化時においては、この『プレイコミック』版「フーテン」をもとに、 さらに、章立ての変更や一部の挿話の順序の入れ替え、そして「フーテン」のシリーズとして発表されたものではない三本の短編作品を組み入れる、といった〈編集〉がなされている。

しかしながら、その三本の短編「星の降った夜(『プレイコミック』1968(昭和43)年8月25日号初出)」 「はたちの夜(『プレイコミック』1968(昭和43)年10月25日号初出)」「漂流者たち(『ガロ』1969(昭和44)年11月号初出)」は、 フーテンもしくはそれにちかい人々が登場人物であったり、フーテンがテーマの話であったりするのではあるが、 作品「フーテン」の登場人物は誰一人として出ては来ず、それゆえ「フーテン」のシリーズの中のエピソードとして数えられることへの違和感が指摘されてきた事は事実だ。

今回あらたに「フーテン」を刊行するにあたって、「フーテン」を、 ハナのダンさんこと漫画家・長暇貧治とその周辺に集まるフーテンたちの物語と定義し、前述の三本をカット。
さらに、『プレイコミック』に再掲載される際にカットされたコマや扉ページを復元。各話の収録も発表順に戻すことにした。

それにより、漫画家・永島慎二が当初想定していた「フーテン」という作品の構想が明らかになり、 漫画というものに対し苦悩しつつも、この作品を描かざるをえなかった永島の等身大の姿が浮かび上がってくれればと願っている。

追記しておくと、省いた三作に代わって今回併録した「残光」は芸文社発行の『コミックVan増刊 漫画ポップ』(1975(昭和50)年1月20日発行)に掲載された、 「フーテン」の後日談ともいえる作品である。
扉ページには「フーテン」の第一回目の扉ページに引用されたものと同じゲーテの詩が引用され、「フーテン」の主人公・長暇貧治の十年後の姿が描かれている。

発表誌のマイナーさゆえに、当時どれだけの永島ファン、そして「フーテン」の読者だった人々の目に触れたのかは定かではないが、 今回初めて「フーテン」と並置することによって、永島が「フーテン」の中に描こうとした、 自らの分身である長暇貧治を取り巻いていた〈時代〉の虚無感の一端をうかがい知ることができるのではないかと思っている。

また、本書一ページ目に記された「亡きハングラとその仲間たちに……」という言葉に登場する「ハングラ」とは、 「残光」の作品中でも語られているが、作者・永島が実際にフーテン生活をおくっていた60年代に親交のあった伝説的なフーテンのことである。 彼がいつもかけていたサングラスが半分欠けていたことからそのニックネームがついたと言われている。

最後に、一部のページ(とりわけ今回復元したページ)は原稿が紛失しており、その所在が不明なため、 初出誌より復刻したことをお断りしておく。また、今回の本書の刊行の趣旨をこころよく理解し、賛同していただいた永島氏のご遺族に感謝の意を表したい。

森田敏也(漫画・劇画研究)