宇宙全史

hami

2017/8/18 No.3440

虚空蔵様 みわ様

いつもありがとうございます。

救世主の情報もありがとうございます。
二人で一組で10組だと思っていましたので、
ずいぶん変更があったのかなと思いました。

これは三人一組で8組ということで24人で良いのでしょうか?
それとも、二人一組が一体で三体一組の8組で48人という事でしょうか?

本の方には20体10組という表現と10体という表現が混在していましたので、疑問に思いました。

二人というユニットは運命共同体としては
割と分かりやすいのですが、
三人というのは社会性の色が出てくる単位だと
思いますので、
まずは社会の最小単位である、親と子供という
形が多いのかなと思いました。

6人一組になると、どういう事になるか分かりませんが、宗教団体とか、会社とか、一族とかになるのでしょうか?
少し驚きました。

世の中で我こそは救世主のようなブログなどを書いている方は何人かいますが、だいたい、イエスとマグダラのマリア、饒速日と瀬織津姫、のような表現でしたので、
三人というのは意外な展開だなと思いました。

とりあえずホッとしました。
大変な役割だとは思いますが、
世界を良い方向に導いて下さる事をお祈りしています。

みわ様が寝込んでいるという事で
大丈夫でしょうか?
この宇宙最後の業を引き受けるなど、
私だったら嫌ですし、
常人には出来ない事と思います。
私達はみわ様を直接存じませんし、虚空蔵様の言葉を
通してしか、知ることはありませんが、
私達の業も引き受けて下さっているようなことがありましたら、本当に感謝いたします。

私もこの一週間は本当に無駄に大変な事が多々あって、
ここを抜けると楽になるのかと、
希望的観測を持っていたのですが、
せめて22日の日食を過ぎると楽になるとか、
そういう風になることを祈っています。

たくさんの存在が支えて下さっているから、
無事に生きているのだという事に感謝して、
新しい希望的な世界に生きていきたいと思います。

どうもありがとうございます。

hami

2017・8・14
hami様

丁度書こうと思っていたことが質問で来ましたので掲載しますが、返信は左に書きます


虚空蔵55

麦茶

2017/8/6 No.3439

虚空蔵55様

ご回答いただき有難うございました。
お礼のご連絡が遅くなり失礼いたしました。


本来ならば体はうまく循環するようにできているのですね。
自分たちの快適さを追求することには積極的なのに、
自然と調和するという考えは、ヨガなどをやっている方は別ですが、一般的にはあまり持たないですね。

女性が男性と同等に働くようになって、
一方で中性的な男性も多くなり、
性別に拘らない感覚が広がりつつあるのは
良いことなのかなと思っておりました。
しかし体に性別がある以上、それに沿った生き方というのは
大切なのですね。

維摩居士に関して、以前にもお書きいただいていたとは
お手間おかけしてしまい申し訳ございませんでした。
再度丁寧にご説明いただき有難うございます。

虚空蔵55様の集合魂の中のお一人…
虚空蔵55様もご自身のことを「トリッキーな存在」とはおっしゃられていましたが、維摩居士に比べますとクセのないと言いますか…私たちに合わせてご対応いただいておりますので、似ているという印象があまりなく驚きました。
五井先生(阿難様)とはその頃からご縁があるのですね。
「そのうちどうなるかは分かりません」というのは、
仏陀様のようにこの宇宙を離れて行かれるということでしょうか。
今は神として見守っていただいている事に感謝いたします。

今は、左へ書いていただいている通り、
これまでの書籍を読み返し理解を深めてまいりたいと思います。
案の定、読み返してみたら、「自分は本当に読んだのか」と疑うほど理解が浅かったことに気づかされました。

お盆が明けるまで、どうかお体に気をつけて。
有難うございました。

2017・8・6
麦茶様

「神」という存在につきまして、この宇宙全史のBBSでは初期の段階で、

「神」とは何か?

という命題を問いかけたことがあったと思います。
当時は皆さんの段階がその答えについていけないような気がして、そのままうやむやになってしまったと思います。

しばらくして会津の話題が上がった時、あのあたりの神々の話を元に「神」という存在を明らかにしようともしましたが、それもそのままになってしまっているはずです。

この命題はいつか出す本(百万円の本ですが)に書かねばならない章に入る予定です。

いずれにせよ「神」とは日本でいうところの八百万(やおよろず)の神々で、下はそこいらにいるローカルな神から、ギリシャの神々(アポロンやポセイドンなど)、また宇宙神と称される天之御中主まで様々ですが、いずれにせよ「神」とは私たちと同じ「現れ」の世界に存在する者たちです。

例えばそれを敬えば「サタン」や「エホバ」たちさえもそれは「神」という存在になり得るのです。

それらはただ単に私たち人間よりは(それぞれ)特殊な能力や、役目としての力を持つ者たちをいうのです。

そういえばここで以前よく出て来ていた(非公開情報でしたか)私の集合魂にいたあの強大な力を持つ「神官」も今は五井先生のおかげで今は「神」として世界中を飛び回っています。

ですから神と称されるものに何でもかんでも祈っていいのかというとそうでもないのです。
もちろん祈ればそれに感応して答えてくれるものもあれば、とりついて悪さをする(エネルギーを奪う)ということをする存在もあります。
だから皆さん色んな(不思議な力)を見せる宗教団体やグループに騙されたりしているでしょう。

また人間界とは縁を切り、我関せずで悠々自適の有り様を楽しむ神々もたくさんいます。

皆さんたちも「神」という存在になればまさしくそういう悠々自適の生き方を楽しむことが出来るのです。

そして努力すれば「神」までは到達することが出来るのも事実です。

そこから先はまた別の事情が存在しています


今夜ははここまで


虚空蔵55

一道

2017/8/6 No.3438

2ヶ月前ぐらいでしようか、リアルな夢をみました、私の住む石垣島には沖縄県で一番高い於茂登岳があります。ユタの方など神事に関わる方たちの拝みどころであります、そこに尾をひいた光る玉が四方八方から山頂へ向かって空中を飛んでいるのをあっけにとられながら見ている夢でした、鮮明に覚えていたので虚空蔵様のお話でなるほどと納得しました、思わず書き込んでしまいました、ありがとうございます。

2017・7・24

スーザン

2017/8/6 No.3437

虚空蔵55様、みわ様

いつもお導き頂きありがとうございます。私のような者がくっついていると導いて下さる方は(重くて)大変だろうなと思いつつ、しかしなんとか離れずについて行かねばと、日々気持ちを新たに自らの果たすべきことに注力しようとがんばっています(本当に出来ているかと言えばあやしいところもありますが、一応その気持ちは持ち続けています)。

左のNo.349を読ませて頂いて、私の場合は性欲を含めて諸々の欲望や、感情の起伏等危ない所ばかりのような気がしています。しっかりと祈りを忘れずに仕事に励んで行きたいと思います。

こちらで学ばせて頂く中で、五井先生の祈りを土台に日々自分の好きなことに励んで行くということが私の生き方の基本になりました。有難いことこの上ありません。

また、エゴの本の出版が予定されているとのことで、再び私の認識が新たに更新されるものと思います。
こちらもこの機会を無駄にしないよう、しっかりと読ませて頂きたいと思います。

いつもありがとございます。今後ともどうぞよろしくお願い致します。

2017・7・19

シャギー

2017/8/6 No.3436

虚空蔵様、みわ様。

最近、体調が変で1日何度も、幸福感というのか満足感みたいなものでいっぱいに成ります。
以前よりも恐怖が無くなり、今に集中出来ている感じがします。

それに、守護の神霊を感じる事が有ります。

今まで自分の意思で動いていたと思っていた事が、守護の神霊や集合魂が、色々な状況に私の体を持て行ったり、何かを行っていると感じています。
とすると、この私と思っているモノが何も無い事が分かります。
エゴの想いが現れますが、間違いなくこの肉体は、多くの存在の共有物だと分かります。

そういう意味では、共有している上位の存在と常に意思の疎通が出来ればと思います。

これもエゴの戯れですが、書き込んでしまいました。

エゴが薄くなると、ここに書き込みたいという思いも無くなっていくような気がします。

いつもありがとうございます。

2017・7・19

どっぺん

2017/8/6 No.3435

虚空蔵55様
分かりました。学ばせて下さい。よろしくお願い致します。

2017・7・18

麦茶

2017/7/28 No.3434

虚空蔵55様 みわ様
いつも心身を酷使するような日々の中、気付きと学びを与えてくださりありがとうございます。

守護霊様から「自分をよく見ろ」とご指導いただいてから、色々思うことはあったはあったのですが、結局覚悟が足りないのだろうと思います。何かのせいにしない、自分で責任を持つ覚悟です。
エゴについての本を出していただけるとの事で、楽しみとは言い方が不謹慎かも知れませんが、もっと知りたいという気持ちで心待ちにしています。


以下、質問をさせてください。
質問1
いまだ些細な事でイライラしてしまい(これは私がエゴに振り回されているからで後の月経でのイライラとはまた種類が違うかも知れません)、特に女性である以上、月経の時には本当につまらない事(汗でスムーズに靴下が履けないとか本当にしょうもないこと)でイライラしてしまいます。出産に向けて出血や痛みに慣れるためだけならば、精神バランスの変化は必要なのでしょうか?人体における月経とはどんな役割があるのですか?今後の世界を牽引していく方達はそのほとんどが女性になるであろうというお話でしたが、それは月経がある、あるいは子供を産める体である事と関係はありますか?男性には答えづらいような質問ですみません…


質問2
「維摩経」という仏教の経典に最近出会いました。まだ理解が浅いですが、その中で言われる「自分の都合を小さくする」という教えは宇宙全史での「エゴを薄くする」とまさにリンクする捉え方のようです。NHKで紹介されていた際には、維摩居士がただの在家者ではなく実は別世界の人だったという説明でした。
維摩とは、実在していた人物なのでしょうか?実在していたとして、どんな人物なのか、そして現在はどこでどうされているのでしょうか?


掲示板の様相も変化した現状で、このようなとりとめのない質問を掲載していただけるか分かりませんが、何かご教授いただけるようであれば何卒お願いいたします。

2017・7・16
麦茶様

質問1の回答
●シンプルにいいますとあなたの仰るように月経は子供を産むためのシステムというだけのことです。
色々後から人間がとって付けたことをいいますが、本来それだけのことです。

ただ女性の身体の特徴的な機構ではありますが、それが肉体の浄化システムも兼ねているということもあります。
つまり正常に機能していれば毎月精神的にも肉体的にもたまったストレスを輩出してくれているのですが、それが近年中々「正常に」とはいかなくなってきているのが現状のようです。

例えば暑い日の冷房などで無理に体を冷やしてしまいますと、どうしても外界と調和した本来の身体の動き、調整が出来なくなってしまっています。
また満員電車や過度な仕事のストレスなども本来の女性としての生き方からはだいぶ外れてしまっていますからやはりスムースに排出することが出来なくなっています。

そのため月経の時傷みや苦痛を伴ってしまうことが多々あるのです。


質問2の回答
●維摩詰は確か前にも書いたはずですが私が受け持つ集合魂(魔導師)の中の一人です。
仏陀の弟子ではありますが、他の弟子たちとは毛色が異なり釈迦集団の中では孤立していた存在でした(性格的には私と少し似たところがありますね)。

唯一相手にしてくれたのは阿難(五井先生の前世)で、この阿難は何事にもほとんど頓着しない方でしたので、維摩詰の難しい問答や難くせに近いやり取りも軽く受け流してしまうので、維摩詰も「暖簾に腕押し」状態で肩透かしを喰らっていたようです。

もちろん維摩詰は実在していました。

今は覚醒して「神」としての座に一応安住しているようですが、そのうちどうなるかは分かりません。


虚空蔵55

どっぺん

2017/7/15 No.3433

虚空蔵55様
身が引き締まるお言葉です。それを読ませていただける準備を頑張ります。どうもありがとうございます。
エゴは今までの私の思いでは、以前にも申し上げましたが、「もうこれは駄目です」と手を焼いて、出来ればそこを切り離して、触れずに通り過ぎられないかというものです。
であるからこそこんな私に「大いに今後の参考となる」のであろうと拝察致しました。
首を洗って待っている以上の準備が何かないかこれから愚考してみます。
いつも必要なご教示を賜りまして真にありがとうございます。

2017・7・10
どっぺん様

エゴの理解はこの世にあるすべての者にとっての究極の智慧と学びになります

例え宇宙の果てを極めたとしても

「自分は誰か」

という問いには答えられないのです


虚空蔵55

どっぺん

2017/7/6 No.3432

虚空蔵55様
どうもありがとうございました。万感胸に迫ると言うのでしょうか、感謝しかございません。

2017・6・13

北玄関

2017/6/13 No.3431

はじめまして
わからないまま歩き疲れている状況なのですが、
信仰で偏ったのかも知れないし、角が取れて優しくなれたのかも知れない。答えを見つけながら、言いなりになることは違うと気付き自分なりの闘いを続けています。その考えに寄り添ってくれる人もいますし、信念の足りないままついて来ようとしてくる人もいます。
本来お経を読む会ですが、修行をされた方々のクセも直らない姿に、
読むのをやめました。言われるままの行で全てが許されるという思い込みと、やらないと何かバチが当たるような恐怖感から、みんなを解き放つために、行だけでない乗り越え方を模索している途中です。

何が正しいのか間違っているのか誰も責めようもなく、それも無意味な気もして、同じ修行をする人たちの縛りをほどきたいという思いで今突き進んでいますが、私の役目から見ればあり得ない状態です。
私はなぜこういう会に属しているのか。
もはや仲間も増えすぎ絆も多くて逃げる事も、本当に救う事も何もできない事態をどう考えればいいのかわからないのです。

具体的なことが何も言えないですみません。
ただ、ついに書き込んでしまいました。

2017・6・8
北玄関様

通常はお答えしませんがビギナーズラックということで記しておきます。
(そういう方が多いです)

あなたは今現在だいぶストレスが溜まっているといいますか、今風にいますと「キーー!」となってしまっています(自覚しておられるようですが)。

「ああもうほっぽり出したい」

「自分にどうしろというの」

そこでほっぽり出してしまえばいいのですが、どうもそれが出来ないようです。
ちょどあなたはその組織の中で中間管理職のような位置にあり、上からと下からの圧力(責任感と頼られるという形の依存圧力)で、「自分には力がないのに」「自分が救わなくちゃいけない」「導かなきゃいけない」という思いに凝り固まってしまっています。


読経自体はそう間違ったメソッドではないのですが、その動機がいかんせん迷走しています。

お経を読めばなんでも救われるというのは、自らのエゴから来る勝手な思いですから言語道断で、エゴを薄くしてくださいというのさえもやはりエゴの勝手な思いにはまってしまうのです。

本当は読経をしつつ、その中で現れる現象なり自分の思いを見つめてそれが何であっても「受け入れる」という姿勢こそが正しい読経メソッドです。


あなたの「何とかしてあげたい」という一見献身的な義務感は、奥底にある「自分はどうにか出来る」という傲慢な思いがその根底にあります。

そこをよく見つめられたら「ほっぽり出す」ことの慈悲が少しは見えてくるかもしれません。


本来この問いはここに書き込むような形では来ていないものですが、まれに縁が付く可能性もありますので初めに書きましたようにビギナーズラックとして掲載しました
(これで終わる方もいれば気づく方もたまにはおられるようです)



虚空蔵55