宇宙全史

シャギー

2017/11/20 No.3504

虚空蔵さま、みわさま。

以前、善悪について色々お話しがありました。
私には、その理解が浅く既存の価値観からしか考えられませんでしたが、今朝、ラジオで聞いたマザーテレサの言葉が、何か違和感があり、その中で語られた善行から。

善とは、自分の考えや価値観の他に認めてもらいたいと思う、ただの認証欲求みたいな感じを受けました。
ですから、悪は、他からの認識ではなく、自分の考えや価値観を通して、他を受け入れない、理解しない、自分への認証欲求なんだと思います。

これで、善悪が同じもので、ただベクトルの違いだと納得しました。
だから今、目の前に起きている事をただ行う事が大事なんだと思います。
善悪がただの認証欲求だとすれば、善悪を声高らかに叫ぶ宗教はなんか虚しいですね。

非公開情報11楽しみにしています。
私の理解力が高まる事を願っています。
エゴの本楽しみにしています。
何時もありがとうございます。

2017・11・15

satsuki

2017/11/20 No.3503

虚空蔵55様、みわ様いつもありがとうございます。

左記の虚空蔵55様の書き込みには大変勇気づけられました。

両親と距離を置いて生活できる今この時をしっかりと活かして、自立の段階を一歩また一歩と歩んでいこうと思っています。

やっと漠然ながら自分の想いで生きていいということが薄々と感じられてきたように思います。

時々むしゃくしゃした想いを五井先生の御写真に向かってぶちまけるときがあります。本当はこうなんです、ああなんです、と。そして出来る限りお祈りします。

生真面目なあり方もやはり業であるのだなと思いました。自分を裸にして生活できないのも業なのだなと思います。

祈って、いろいろあがいて、ちょっと落ち着いて、またあがいて、といった繰り返しですが、自然と触れ合う自分のあり方にちょっとずつ深みが感じられるような気がします。

今まで避けてきた人との関係、心のあり方などが沢山あり、蓋をしてきた自分の内面と向き合っていく作業などがあります。

本当に自分は心を閉ざしきって生きてきたのだなと思います。

自分で自分のことができることは嬉しいことです。
炊事、洗濯、掃除などが自分でできることは本当にありがたいことです。めんどくさくなることもありますが、それでも良いです。

五井先生の「人間と真実の生き方」、感謝できる自分を目指して生きるといった根本があります。

こころが、魂が帰るところがあります。

業想念で罵り狂う時がありますが、それでも祈りが本当の帰る場所なのだと思うのですが、毎日の私は恥ずかしい限りの自分です。

ここでの書き込みにあります、

無理をせず、
全力を尽くし、
祈りを忘れず、
感謝を忘れず、
いつも自分を見つめ、
焦らず、たゆまず、
できることを、やるだけ…


左記に書き込まれたばかりの、

あせらずくさらず

たゆまぬ一歩を踏み出す

その姿を五井先生が見逃すことは決してないのです

というお言葉を日々の糧にし、こらえ性のない自分をお祈りに乗せ生きていきます。

世界人類が平和でありますように


2017・11・14

Kazu

2017/11/20 No.3502

虚空蔵55様、みわ様、
非公開情報11を楽しみにしています。
幼稚園から大学院、博士課程までの解説ありがとうございました。
今年富士山等の山に登っていた時に感じたこととよく似ていると思いました。山に登り始めたばかりでは頂上はまったく見えず霧のため見えるのは数歩先、しかも息苦しいということがありました。その際考えたのは、あきらめず、数歩先は見えるのだから、正しい道につながっているのだから一歩一歩進もうということでした。我慢して進んでいると晴れ、明るくなり、頂上に到達できました。地味ですが正しい一歩一歩が、大事だということを学びました。これしかできることはないように思います。

2017・11・14

港山淡水

2017/11/20 No.3501

虚空蔵55様、みわ様、五井先生、月読之大神様

ご回答してくださり、ありがとうございました。

参考に致します。

非公開情報11が送付されるのを楽しみにしています。

2017・11・14

明るく

2017/11/17 No.3500

SO&SOさま、

非公開情報11購入希望、先ほど再度メールいたしましたので、確認方よろしくお願いいたします。

11/17 8:38
明るく楽しく元気よく


明るく様

あなたの場合はこのメールのように「明るく」だけで非公開情報希望のメールが来ていました。

住所も株式番号も、正確なハンドルネームも、電話番号もメルアドもなく、確認のしようがなかったので「不正メール」として処理されています。

次回からは放置されますのでご注意ください


虚空蔵55


TAKASHI

2017/11/17 No.3499

確定メール確認しました。お騒がせして申しわけありませんでした。
一つ確認があるのですが私の名前が権利者名簿で見つかりませんでしたとありますが、権利者でなくなったという事でしょうか?
2016/9/28 No.3055
のTAKASHIです

2017・11・17

TAKASHI様

あなたからの連絡は「TAKASI」名で来ていましたので確認できませんでした。

TAKASIのハンドルネームでの名簿登録はありません。

不安ならば問い合わせの時は本名を書くか、間違えないハンドルネームを使用してください


虚空蔵55

港山淡水

2017/11/13 No.3498

虚空蔵55様、みわ様、五井先生、月読之大神様

いつもありがとうございます。

非公開情報11の発行を楽しみにしています。

最近、人間の精神レベルを小学生、中学生、高校生、大学生に例える

書き込みを目にしますが、中学2年生、中学3年生、

高校1年生、高校2年生、高校3年生、大学1年生とは、それぞれ具体的に

どの様な精神レベルなのでしょうか?

よろしければ、ご回答よろしくお願い致します。

2017・11・9
港山様

ちょっと言葉足らずでしたね

左に簡単に書いておきます

ご参考になさって下さい



虚空蔵55


RIE

2017/11/13 No.3497

虚空蔵55さま みわさま


こんばんは。
本日、非公開情報11の申し込み開始とありましたので、早速申し込みさせて頂きました。タイムリーにも北玄関さまの回答の、虚空蔵55さまが書かれていたメッセージに、しばし感慨深いもの感じ、投稿させて頂こうと思います。



>現状多くの方が陰始勢に引き込まれていくのを目の当たりにしています。
>それは仲間であったり友人、恋人であったり、家族であったりもします。
>例えば会社勤めしていても、家族が病に倒れ、親が身動きできなくなり会社を>辞めて介護に専念しなければならなくなり、好きな仕事を辞め、近場の夜勤バ>イトに変更せざるを得なくなるというようなことが起きています。



このような例は、私も仕事柄、頻繁に相談を受けます。更には長く、そのような環境の中で不自由な現状を強いられてる、ご縁の方もいる訳です。「子は親の面倒をみるのが当たりまえ」という。これまでの家系の存続を重視した、親と子供の依存関係を生み出す、社会通念。これも長い年月をかけ、人々に浸透させた陰始の作り上げた仕組みだったか!と驚きと共に、改めて自覚したのです。



先日も、40代の女性の相談者のお父様が、83歳まで現役で仕事をされていたのですが、急逝し、悲しみにくれる間もなく、多額の負債があることが発覚。寝耳に水のような状況で、ご自分の進む道も見え邁進していた矢先なのに、年老いたお母様の介護や多額の負債の重荷、いろいろなことが重なり、毎日毎日不安で眠れない…と言われていました。



他にも、親も病気、介護する側の子供も病気…といった状況に遭遇している方、
アルツハイマーの母親を施設に入れず、仕事をやめて家で介護に追われるうちに、ど貧乏になった…とか、ご主人が若くして亡くなり、介護の必要な義理の両親を、40代のお嫁さんが面倒を見なければいけない状況とか…



現代社会は、こういった「家系の縛り」「儒教精神の残滓」ともいうべき陰始の思考が深く浸透している故でしょうか…女性でも子育てが一息つき人生経験もスキルも油が乗ってきた40代50代のタイミングで、人生を阻まれてしまう状況の方々も、本当に多いと感じます。



因果律という視点から見れば、そうなる因があったのだとは思いますが、更に今の社会の暗黙の同調圧力の中で、考える力を失い、エネルギーを奪われ、取り込まれているように思います。



昔…、冗談でしょ!と一笑に付されたセミナーのネタに…本来、親と子の関係は、子供が16歳になるまでは、雨水をしのげて、飢え死にしないように、きちんと育てあげれば、それ以降は、子供は親の元を離れ、自ら生きる力をつけ、二度と親の元には帰らないこと…親も子が離れたら、また、ひとりの人間として、自らの天命を全うする為に生きる…それが、宇宙自然から応援される正常な生き方らしい…と、話していたら、皆100%「あり得ない!」という反応をされました(笑)



もちろん、現代社会で、そんなことをしたら親の責任放棄になるのですが、自然界では、成人になっても、いつまでも、親にくっついて生きて、親も、子供が面倒を見てくれることを望むのは、人間だけなんだよな…と時々思うのです。



現状の悩まれている方に、不可能な概念だけを言っていても仕方ないので、自らの状況を必要以上に卑下することなく、人生の因果律という視点を学び、因縁因果を転換するチャンスと受け止め、祈り、気づき、認識や選択、行動を変えていくことで、魂の繰り返しのパターンから進化できる「機会」が今ですよと、励ますのですが…



>その大元は「肉の身がすべて」→「身体を守る」→「家族を守る」→「家系を守る」という連鎖から来ています



この連鎖の図式、本当にここが元凶だと思います。今、どこにでも起こりうる、家族で互いの人生を食い合い、共に沈んでいくという事象すべてが、陰始にとっての都合の良い社会構造の「結実」であるといえるのなら…



私は、本当に思うのです(日頃からですが^^)この認識を変えていく力を持つのは、政治家でも、企業家でもなく、学者でもなく、母親ではないかと。母親と女性がこれからは賢くならないといけな時代ではないかと。もちろん、男性もなのですが、女性はそれ以上に。



これまでの時代の家系の縛りのままに生き、収奪社会の仕組みに目覚めることもなく、魂の進化もなければ、その子供も陰始の作った社会に染められていく、もし、目覚めた子供が生まれても、これまでの社会に迎合しないと、奇人変人扱いされ、その芽をもぎ取られてしまう。



母親や女性の多くが、陰始の創り上げた価値感に踊らされていることに早く気づき、これまでとは違う時代が訪れることを理解し、家系や旦那に全面的に依存しない、先見の明と行動力を持つ母親や女性が増えていけば、20年後の世界は、親子で依存し共喰いして落ちていくような世界からは解放されていくのではないかと、思わなくもないのです。



目覚めた母親に育てられ、古き観念に影響されない子供が、陰始が創り上げた社会通念とは別な、もっと生きやすい社会のステムや通念、新しい時代の価値感やシステムを作り上げてくれるかもしれない…。



「誰が地球に残るのか…」を読ませて頂いた時も強く感じたのですが、この時代の母親の在り方は本当に大事だと。母親の感情や思想の影響が色濃く子供に引き継がれていくこと、それが良いも悪いも代々家系の連鎖を生み、未来の地球の社会通念になっていく…



私自身も含めてのことですが、今を生きる女性は、視野を広げ、俯瞰度を上げ、素直に学び、純粋に行動することで、目覚めて、根源のエネルギーと同調できる位に、賢くならないといけないのではないか…。私のご縁の8割は女性です。(最近は男性も増えましたが…)それゆえか、ここに来て一段と増えてきた感がある、親子の負の状況と、それをどうしたらよいのか…感慨深くなり思わず感じているままに書き込ませて頂きました。


非公開情報11届くのを楽しみにしています。

2017・11・12

北玄関

2017/11/13 No.3496

有難う御座いました。
何度も何度も大切に読み返して、
まずはお祈りを続けさせて頂きます。

残された人たちの思いに囚われているように感じていましたが、そうか、自分の思いなのか、、、と改めて納得しました。
このようにわかりやすいたとえ話をしていただけることも含め、なかなか自分では考え至らないところの事を教えていただいて、私は幸せ者です。
これからのなすべきことがわかったことで、自分の歩く先にやっと希望が持てました。
まだまだ退会を渋る方々も多く道は険しそうですが、心を決めてあとを濁さず進んでみます。
本当に本当に有難う御座いました。

2017・11・10

北玄関

2017/11/8 No.3495

2017・6・20
ありがとうございました😊深く深く感謝いたします

お返事が頂けるとは思っていませんでした。
心にあまりにも闇を抱え過ぎて、読んだ方にまで呪いのような悪い気が行ったらどうしようかと思う程、心の中が真っ暗になっていたのです。


>あなたの「何とかしてあげたい」という一見献身的な義務感は、奥底にある「自分はどうにか出来る」という傲慢な思いがその根底にあります。

ここです。ここにああやっぱり自分というものは、自信が無いと言いながらなお、この増上慢と私たちはよく言いますが傲慢な思いが根を張っていたのかと、改めて大反省です。

信仰に一時期、はたから見れば盲信という自分がありました。どんな事もこのご法と支部長さんのおかげだという毎日で、たくさんの人に布教して入会者も縁者を含めれば1000人を超え、その辺りから自分は特別な人間では無いかと勘違いを増長させていったあるあるだと振り返ります。

幸せになった人もいたし、入会させて置いて手が回らず何も教えずに会費だけ取る状況にだんだん矛盾を感じて行きました。
幸せになったというのも、良いことがあったというだけで、悟れたところまで行かなくて、悩み続ける人も多いし、幸せとも言えないという事にも気付き始めていました。
一番頑張る人として可愛がられていた自分が、その矛盾を言葉に出した事による法敵、反逆という事で支部長から見放されて行きました。

使いやすい駒でなくなったのだろうと理解できるまでには時間がかかり、何でこんなに支部のために頑張ってきた自分が、たくさんの人を導いた(入会させただけのことですがそう思っていました)自分が、次にもっと頑張る人が育てばぽいっと捨てられ扱いにくいと無視をされるのかと、人間不信に陥り信仰って何なんだろうという基本的な問いにぶち当たりました。

それをまず解いてくれたのは、なぜだかわからない流れでルールを破ってまで私を支部長に推して支部として独立させてくれた会長でした。
しかし、支部長推薦のない例外的な扱いに支部長の怒りを買い、新たに立ち上げた支部に分けてもらった会員さんは、私が導いて育てた役目の人をほとんど連れて行けず、クセの強い扱いにくい人を預かる事になりました。何から何まで納得のいかない事だらけの再スタートでしたが、同じだけの結果(入会数のノルマ)を求められて、いきました。当然できるわけもありません。
私はいわばそこに思いっきり逆らって、本来の仏様の教えに根ざした、人としての心を本当に綺麗にしたい修行を個性的に教え、グループからも浮くわ、成果主義の人たちにはなじられるわ、イジメに近い扱いを受けたのです。

逃げなかったのは、預かった会員さんには罪はないし、やはり何とか幸せになってもらいたいの一心でありました。

成果主義のキツイグループの中でいじめ抜かれ恐怖に縛られて教えにがんじがらめになっていた人たちを解くことから始め、その中で不思議な夢を次々に見るようになり、その夢をお伝えした結果、今の代替わりされた会長と新たに縁が深まる流れになり、私自身も成果主義の教えに洗脳されている事を解いていただきました。本来の教えを曲げてしまっている自覚を持ちました。

こうやって書きながら、やはり私は自分は悪くないという事を並べ立てているのでしょうね。

今は新会長に気持ちを分かちあってもらいながら
進めています。ほぼ、今は自信もなくボロボロですが、時代が変われば今の成果主義の重鎮も歳をとられて代替わりされるから、そこまでの準備をしましょうと励まされる毎日です。

責任者の私の気持ちの浮き沈みの多さで多分付いてきてくださる方も混乱しているのです。
考えた事を答えのまだ出ないまますぐ口にするクセも周りの混乱を招いているのだと思います。

霊感者として、人にご指導している時だけが、私も信者さんも癒され前向いて頑張ろうと思える一瞬ですが、
自由な信仰ではないので、やるべき事という形で決められたことができなかったら叱責される毎日に疲弊しています。
その霊感者もたくさんいますが、いろんな癖のキツい方も信者さんの指導をしています。考えれば怖いことですね。
どなたからご指導いただけたのか、わからないままさせてもらってますし。
とりあえず、損得やら支配する言葉の出る方はおかしいとは思いますが自分の霊感がどうなのかは自分でもわかりません。
間違っていれば人の人生に深く関わるぶん大きな罪になるともおもいます。私は大筋危うい事をしているならば、どうか教えていただきたいです。


2017・7・9
ありがとうございました。
あれから、恐ろしいほど強い上司にも優しいところがあるとわかり、辛い事ぶちまけた
格好にはなりましたが、自分のこれまでの努力を大変だと理解してもらえ、今抱えている人たちにも思うようにならないことを共感してもらうような愚痴の多い姿振り返ってみて智慧の足りない姿だったと伝えて謝りました。
結果の出る修行もやってみたいと思っていた最近の私でしたが、結果の出ない工夫と苦労の伴う心穏やかでない環境が辛すぎて根を上げそうになってました。それこそが私の苦手とする努力の方向でこれを乗り越えたい自分が本当はいたのではないかと思えて、
ある意味それがうまくいこうと、ダメであろうと今しか出来ない経験を積んでいるのは確かなんだなと肩の力が抜けました。
何とかしなければの中に、どこか自分はやれるのにと言う本当にうぬぼれがありました。
迷うこともあるかと知れませんが、また歩いていこうと思います。
本当に大きなヒントいただきありがとうございました。


2017・9・7
ご無沙汰しております。
以前数回書き込みをさせてもらってから、幾分状況が好転しました。

おっしゃっていただいたとおり、私は立場的には中間管理職となります。

強烈な個性で逆らえないと思っていたグループのトップの方でしたが、懐に飛び込んで見れば情の厚いところもあり、立ち居振る舞いに誤解を受けやすい方であることがわかってきました。

私が恐れすぎていたのは先輩役職の方の受け売りでその方の間違った思い込みから、それを単純に信じて、恐怖感に囚われるようになってしまっていただけのことでした。今となっては、自分の主体性のなさや、盲信ぶりに呆れるばかりです。

今、距離をおいて物事を見るようになり、なんとかせねばと言うような傲慢な考えも
何だかおかしな話だなと思い、めいめいが取り組むべき人生の課題に首をつっこみすぎて、逆に相手の修行の妨げ、ただのお節介になっていだのだと思いました。

さてそうなると、ほっぽり出したいのはやまやまなんですが、次の段階でそうも行かなくなってきました。
中間管理職として、グループ長と穏やかな関係を持つことができるようになり、そのせいかどうかはわからないのですが、トップの方の取り組みも相まって劇的にその方が、優しくなりました。一時的なことかもわからないですが、みんなの意識は変わり圧力をかけるようなことは激減しました。

トップの方は私の存在が、ここまでの変革をもたらしたと思ってくださっているようです。

私にはこうなった流れが、もはや誰のおかげなどそんな事はどうでもよいのです。
やはり、お経、参拝、勧誘と言う行ができる人が敬われる成果主義で人を教化する根本は変わることはないですし、会のしがらみやら、個人の幸せにそこまで必要かなと思うようなあまりにも多くのルールに縛られるやり方に実はすっかり嫌気がさしたところがあるのです。

私が脱会をすることは、とりあえずたくさんの人を気持ちの上で不安に落とし込みます。
でも、人間崇拝みたいなことはおかしいことや、今の会のルールの中で、そこまで縛られる必要は無くて自由にやればいいよと身近な方々には伝えてありますから、大丈夫なんじゃないかなとも思います。

だけど、逃げるのかと

裏切るのかと

おかしな話だなとお思いかもしれませんが、組織を離れる時にはものすごいリスクが
心にのしかかるし、トップの方とあの世でまた会いましょうねと笑いながら約束をする夢まで見ています。

私の心は自由がなく、縛りをなくした中で別に関わりたい方とは関わるような身勝手が、果たして許されるのでしょうか。

窮屈な組織の中でも楽しんでやればいいんじゃないかと思い込もうとしていますが、私的には恩は返したと言うか、望まれる変革には十分貢献しただろうし、このような団体で盲信しなければ得られなかった稀な経験もいろいろさせてもらったと言うことで離れたいと言う心の叫びがあります。

具体的なことは書けずわかりづらいと思いますが、逃げることは、たくさんの人の縁を切り、私どもで言うところの縁を汚すことになるのでしょうか。

会のために真面目に貢献したあの人が辞めてしまったと言う混乱もあるでしょうが、なぜ辞めたんだろう、とそのように問いを持ってくださる方もおられ、その方々の気づきに至らないのでしょうか。
教えていただければ幸いです。


2017・11・5
25年間お世話になっていた宗教団体から脱会を決めました。
私が誰かの心や人生を救う事など、ここで教えていただいたように
出来るわけがないなど、そういうところに考え至らないところに自分の駄目さをつくづく感じました。

明るく元気に、また、まるで逆に自分で自分を責めて落ち込んでみたり、また、人を憎んで責めてみたり、表には出さないだけでエゴの塊でした。
なのに、潤滑油のように上手く和ませたり整えたり出来ていると自惚れていました。それがわかったのは、自分が抜けてみていろんな方が、私がいなくなれば元通りにもめ始めた姿でした。
何かを変えた気になっていました。
あまりにも長い年数人の人生に関わり続け、他人を依存させました。
そして、その関係に自分は自分の都合のいい居場所を作って、依存していたのかと、本当に嫌になりました。
何か大きくたくさん間違えた人生を送ってしまったのでしょうか。
自分なりには、依存しやすい心を生む仕組みや管理されながら信仰するおかしなしがらみについてはトップの方に訴えて退会しました。
その形が自分を正当化しただけのものなのか、誰のためにもならなかったのかもと、ぐるぐる考える自分がいます。
潤滑油みたいな存在は、何かの役に立つかもしれないけど、油がある時にしか役に立たなくて、切れたら元通りで、、
少しは学べたこともあるかもしれないですが、人に与えた影響は残ります。
団体の怖さを思い知りました。深く考え始めると闇にのまれそうになります。それがときにこわくなります。
もうすっぱり切ればと思うのですが、そこがなかなかと言ったところです。
こういう事は、相手もあった事ですし、自分が新たな人生おくることで前に進めるものなのでしょうか。
私も、これまで関わってきたたくさんの人たちも、ということです。


北玄関様

やっと一歩踏み出したということで掲載出来たのは良しとされるでしょう。

現状多くの方が陰始勢に引き込まれていくのを目の当たりにしています。
それは仲間であったり友人、恋人であったり、家族であったりもします。

例えば会社勤めしていても、家族が病に倒れ、親が身動きできなくなり会社を辞めて介護に専念しなければならなくなり、好きな仕事を辞め、近場の夜勤バイトに変更せざるを得なくなるというようなことが起きています。

少し考えると親の介護は当たり前のことのようですが、しかしそのために若い希望のある身が一番大事な時期に会社を辞めなければならないのは何とも理不尽です。

ならば親なんか放置して好きな仕事を続けるのがいいのかといいますと、それもまた違うのです。

もちろん家族の問題ではそれぞれ異なる事情を抱えていますから一概にはいえないのですが、しかし各々に根深い問題(負の諸事情)を抱えていることは事実です。
例えば寝たきりになる親は、そうなる前にもっと自分の身体をいたわれなかったのか(食生活などの様々な生活習慣など)、あるいは生き方や考え方、思いを真っ当なものに向き合えなかったのかということがあります。
そういう負荷がもたらす老後が、自らの子供にさらに大きな負荷としてのしかかってくるのです。

子供の方はまた子供の方で、親を公共機関の介護施設や場合によっては私営の施設、あるいは兄弟や親せきに協力してもらうといった努力をしたかということがあります。

そんな様々な人生における有り様が一人の若者の生き方を負の方向にも生の方向にも導いているのです。

子が親の老後の面倒を見るのが当たり前というのが古い人たちの共通概念です。

そしてその大元は「肉の身がすべて」→「身体を守る」→「家族を守る」→「家系を守る」という連鎖から来ています。

本当は親の問題は親で完結しているのです。

子供の問題も大人になれば子供で完結します。

ところがいつまでたっても親も子供も依存し合い、喰い合い、共に沈んでいく運命を選択してしまっています。


組織も同じです。

左で書いた「転んでしまった救世主」の中で、アラブに行った女性がいましたが、彼女も結局はエジプトのイスラム社会の持つ共同体という組織(コミュニティ)の居心地の良さに埋もれてしまったのです。


お互い助け合うな、決して依存するなとはいいませんが、そこに執着することは違うのです。

以前ここで分かりやすく説明するために書いたことがありますが、再度書いておきます(たぶん10年近く前でしょうか)。


私は電車に乗った時、車両にイスが必要そうな人が乗ってきたら何もいわずに立って他の車両に移動します。
その人(例えばおばあさん)が私がいた席に座ろうが他の人が座ってしまおうが気にしません。
必要ならそのおばあさんは空いた席に座るでしょうし、必要なければ立ったままです。

しかしわざわざ「お婆さんどうぞお座りください」と声をかけても、「私は別に座りたくはない」という方もおられます。
また座ってくれても、その前の手すりにつかまってずっと立っているのもおかしなものです。

だから私は黙ってまるで電車を降りるようにその席を立って別の車両に移動します。
(最近は席に座ること自体をしなくなりました・それが一種の浮世を離れるということでもあるのでしょう)


組織を離れる時も同じです。

黙って跡を濁さず去るのです

残した人がどう思うか…それは残された人の思いではなく、あなたの思いなのです

そこまでわかれば立派な中学一年生なのですが

とにかくやっと小学校は卒表できましたね

これからが大変ですが

まずは自分だけのお祈りが

身につきますように


●私は幸せでありますように

●私の悩み苦しみがなくなりますように

●私に悟りの光が現れますように

●生きとし生けるものが皆幸せでありますように



虚空蔵55