1989年2月9日 手塚治虫 逝去......
様々な雑誌で追悼特集が組まれる中で、どおくまんプロ(少年マンガ界のCLAMPみたいな方々)の中心人物の一人である小池たかし先生は沈黙を貫いていたが、パンチザウルス担当編集の中山氏の説得により、手塚先生との並々ならぬ奥ぶかぁーい因縁を書くことを決意する。
昭和50年頃、「花の応援団」で一発当てたどプロのどおくまん先生と小池先生はマンガ家視察旅行に東京にやってきた。
さいとうプロダクションでは、徹夜明けのアシスタント達とさいとう・たかを先生の鋭い眼光にビビり、ほうほうの体で逃げ出す......
ダイナミックプロでは......
永井豪先生は寝てはった!!
いよいよ手塚プロへ......
当時「火の鳥」「BJ」「三つ目がとおる」等で多忙を極めていた手塚先生だが......
ワイらみたいな新米マンガ家にも多忙な中で時間を割いてくれる、手塚先生はやはり神様だった!
そして、手塚治虫が小池先生へかけた言葉とは?
気になる奥深い因縁については掲載号を買うか、国会図書館でも行って読んでくださいね。
マガジンハウス「NEWパンチザウルス」1989年5月30日号 2200円(税込)
販売は2月8日(土)より、ブロードウェイビル4階マニア館にて。お見逃しなく!
中野店 國澤