前回からHOT・Bの歴史を振り返っている。HOT・Bは80年代後半から90年代初めにかけて活動したゲームメーカーである。著しいヒット作は持たぬながらも個性的な作を多数リリースし、近年、その作品「星をみるひと」の復刻版がNintendo Switchで発売されて話題となった。
前回は、1982年、広告代理店ファーストファーマーズのゲーム部門から出発したHOT・Bが、翌83年7月、東中野に事務所を構え、主にCSKソフトウェアプロダクツの下請けとしてさまざまなソフトを制作したところまで紹介した。そして今、同社は独自のレーベルを立ち上げて、自分たちの作品をリリースしようとしていた。
1984年、HOT・Bは「GA夢」(ガム)というレーベルをスタートさせ、自分たち名義の作品づくりを開始した。高橋輝隆社長によれば「GA夢」は「GAME+夢」の略で、噛みしめて味わうガムに掛けていた。
84年末ごろのものとみられるチラシには、「第六感まで楽しんで」というキャッチコピーとともに以下のような惹句が掲載されている。
「最近、騒々しいばかりのゲームには、ちょっと食傷ぎみ。もっと会話やストーリー性を味わいたい。ドラマがほしい。こんなヒトに、GA夢シリーズ、4本のラインナップを捧げちゃう。お手軽ファーストフードもいいけれど、じっくり味わうディナーのほうがもっといいに決まってる。あきのこないGA夢シリーズ、好きになるよ」
「4本のラインナップ」とはこの惹句の下にある「西部の成りあがり」「サイキックシティ」「ザ・ブラックバス」「西遊記」を指す。すなわちこの四作こそが初期HOT・Bの名を冠する主力商品たちなのだ。
「西部の成りあがり リッチ&プア物語」(FMー7/8、PCー8801、FMー7、X1)は、GA夢シリーズ第一弾、HOT・B名義の初作品であった。
業界初めての西部劇風ロールプレイングゲームで、成り上がりをねらう主人公ジミーが、農場や牧場で働いたり野生馬を捕まえたり、時にはお尋ね者捕縛の賞金を狙ったりと、荒くれた世界で金を稼いでゆく。大富豪の娘と結婚するか金山を掘り当てれば、めでたく西部のビッグ1となれる。
この作品は、『ログイン』1984年8月号「お茶の水博士の、鉄腕不思議ソフト」で「少々意地の悪いところもあるが、ゲームの出来は上々。たっぷり時間をかけて作ったと思われるシナリオに、人生の機微を見る思いがした」と好意的に評された。『アソコン』2号(1985年6月5日)は見開きで大きくとりあげて「ウェスタンじたての立身出世ゲームで、ドンパチはないので念のため・・・」と西部ガンマンの世界ではないと念押しした上、編集部が調べた必勝法を伝授してくれている。
「サイキックシティ」(PCー8801、FMー7)は、これも業界初となるSFロールプレイングゲームだ。その清新な視点を評価され、1984年度「ソフトウェア・レビュー批評家賞」を受賞した(『ログイン』1985年1月号)。この作品は、HOT・B最大の怪作といわれる「星をみるひと」に影響を与えたことでも知られ、本稿第二回(『まんだらけZENBU』99号)で詳述した。
「西遊記」(PCー8801、FMー7)はアドベンチャーRPG。魔物につかまった三蔵法師を助けるには情報を集めて三つの鬼門をクリアせねばならない。東洋に材をとった着眼点が光り、のちのHOT・Bの大作「中華大仙」の先鞭をつけた作品となった。
「ザ・ブラックバス」(PCー8801、FMー7他)は、ゲーム業界進出の大きな推進力、勝又展が手掛けた実体験型釣りシミュレーションゲームである。現在までの資料の残存率も社への貢献度もきわめて大きく、その後ファミコン版にも移植されて同社のファミコンゲーム第一号となった。この作品は次回重点的に解説する予定である。
当時業界の注目は新興ジャンルとしてのロールプレイングゲームにあった。HOT・BはGA夢シリーズでストーリー性とドラマ性を謳い、果敢にこの新ジャンルに挑んでいる。とりわけ他が手を出していない新規分野を開拓し食い込んでゆこうとする意識は顕著である。このRPGと、釣りシミュレーションゲーム「ザ・ブラックバス」を含め、まさに「第六感まで楽しんで」のキャッチコピーが、かれらのめざした理想郷を表現している。
さて、こうした主力商品に加えて、1984年末から1985年初頭、HOT・Bは「アクション・GA夢」シリーズとしてアクションゲームを幾つもリリースした。発売されたのは「ブルータス」「ONE WAY TRAP」「PRITON」「ラリパッパ野球団」「欧神(オーディン)98」など。ゲームメーカーとしての地位向上をめざす同社は、この時期作品層の厚みを打ち出す必要を感じていたようだ。
1984年末頃に発行された広告
それぞれの内容を概説すると、まず、生き残りをかけたリアルタイムロールプレイイングゲーム「ブルータス」(PCー6001他)、一方通行の道に迷い込んだプレイヤーが追ってくる車をガレージに入れる「ONE WAY TRAP」(FMー7、PCー8801、MZー2200他)、王子プリトンがゾンビたちを倒すシューティングゲーム「PRITON」(FMー7、PCー6001他)、北欧の神話世界を舞台としたスクロールシューティングゲーム「欧神(オーディン)98」(PCー9801)、不良少年を野球で更生させる「ラリパッパ野球団」(FMー7、S1等)。
こうしたアクション路線進出の背景にあったのは、当時新興勢力ながら大胆な試みで一気に頭角を現していたゲームメーカー、エニックス(現・スクウェア・エニックス)の存在であった。というのもこのアクションゲームの数々は主にエニックス提供の作だというのである。
1982年創業のエニックスは、同年12月、ゲーム・ホビープログラムコンテストを開催してアマチュアのゲーム作品を募集した。その頃アマチュアプログラマーたちは主にメーカーへの持ち込みやショップの買取などで自作を売っていたが、自社での開発技術をもたないエニックスは、優勝賞金100万円、賞金総額300万円という当時破格の金額で広くかれらの才能を求めたのである。のちにドラクエシリーズを手がけた堀井雄二、不思議のダンジョンシリーズを世に出した中村光一など稀有な才能を掘り当てたコンテストは大成功をおさめ、無名の同社を一躍世に知らしめた。コンテスト自体は1984年9月の第三回で終了したが、この試みがエニックスに豊富なソフトの集まるきっかけとなったのは間違いない。そしてHOT・B高橋社長によれば、アクションGA夢シリーズは、基本的にこのエニックスから提供されたものなのだという。
これらの中で唯一エニックスのロゴが入る「ラリパッパ野球団」は同シリーズで最も反響が高かったひとつと言えそうだ。当時『Beep』誌は同作を以下のように解説している。
「「更生」という名の暴力に我を忘れる自分が恐い!野球部員9人が、不良になってしまった!そこで野球部の主将たる君は、不良化した部員たちに3本ノックをぶつけて彼らの根性をたたき直し、もとの健全な少年の姿に戻してやろうと、日夜奮戦するハメになった」(『Beep』1985年2月号)
不良たちにノックを当てると、その都度上着やズボンが真面目な野球少年のものに変わってゆく。だが不良たちはナイフを投げて抗戦し、野球部再建は命がけ。当時社会問題化していた不良少年を扱った本作を『Beep』は、アイデアに富んだ「不良更生版マリオブラザーズ」と評した。また『アソコン』4号(1985年12月1日)も、「キャラクターもカワイイし、動き、スピード、操作性もいい」と手放しで褒めている。
この快作は、統計学やバイオインフォマティクスの分野で知られる現・京都大学教授、下平英寿が高校時代エニックスに持ち込んだ作品であることがわかっている。もとは高橋留美子作品を基にした「ルーミックヒット」というタイトルだったが、版権上キャラを変更し、タイトルやストーリーなどはHOT・Bが手を加えたと聞く。なお、『ポプコム』1985年5月号「今月の話題」コーナーでは《編集部が独断で選んだ「おもしろネーミング」ゲームソフト》のひとつにも選ばれている。
当時ゲーム業界は新規参入組が多く、各メーカーは積極的に横の繋がりを求めていた。HOT・BのアクションGA夢シリーズは、まさにこの繋がりの中で生まれた果実であった。と同時に、業界を牽引する新しい才能の出現が其処此処に見られたことも、この時代ならではの現象だった。
1985年、HOT・BはSFロールプレイングゲーム「カレイド・スコープ」(FMー7、PCー8801他)の制作に乗り出した。企画は「サイキックシティ」同様沖中日出光。シナリオは栗山潤。第一部「七万光年の胞子たち」、第二部「発・汗・惑・星」に分かれ、惑星ナセルを舞台としたロボットVSロボットの戦いと、その80年後、発汗惑星デファンクで珍獣チューガー族を探す探検が繰り広げられる。この最大の見どころは、シリーズ共通のローダーセットに一部、二部のシナリオが連動して物語が追加されてゆく革新的なシステムにあった。基本となるゲームにシナリオを継ぎ足してゆく仕様は「ソーサリアン」(1987年12月 日本ファルコム PCー8801mkⅡSR他)が知られるが、本作はこれに大きく先んじている。それぞれを分割する構成は勝又展のアイディアによるもの。
なお、パッケージデザインは沖中の推奨でジオラマを採用した。ジオラマは、当時雑誌でロボット系の模型作例を多数手がけていたモデラー石原宏明による。模型の写真をパッケージに使用した例はほかになく、これもまた斬新なチャレンジであった。
これほど多くの革新性をもつ「カレイド・スコープ」だったが、予定されていた第三部「不老不死協会」は実現しなかった。日進月歩の勢いで技術が進歩する中、ゲーム動作の遅さやグラフィック表現の弱さを解消できず、製作打ち切りの憂き目をみた形である。しかし抜きん出たSFセンスと斬新な発想、大作制作への渾身の挑戦は、まぎれもなく新興ゲームメーカーHOT・Bがもっていたポテンシャルの高さを物語っている。
なお、この「カレイド・スコープ」発売の頃、GA夢は同人誌『Seeder』の発刊も始め、積極的にファンとの交流にも努めていた。発売されなかった第三部「不老不死協会」の名称もこの冊子で確認することができ、意欲溢れる当時の様子がうかがえる。
HOT・Bの独自レーベル「GA夢」シリーズには多くの初物が含まれていた。システム面の未熟さや外部発注に焦点を絞り切れなかった憾みは残るが、卓抜な発想、広告代理店出身のタイトルセンスなど、光るものは多かった。エニックス等横の繋がりにも支えられながら、HOT・Bは自立したゲームメーカーの道を着実に歩き始めていた。次回はHOT・Bのファミコン進出と、同社を支えた作品「ザ・ブラックバス」をとりあげる。
会報誌「Seeder」より
「七万光年の胞子たち」の設定を基に
執筆者たちが膨らませた内容が記されている