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回答・メッセージ

虚空蔵55

2017/12/18 No.379

以前から陰始勢の圧力は高まってきてはいましたが、それがここに来てかなり強まっています。

正に東京オリンピックは開催されるというような勢いで来ています。

大元の陰始は息も絶え絶えといいますか瀕死の状態ですが、陰始に加味する思いの人間たちの勢いが凄まじいものがあります。

どうも人間たちも巻き込まれたいといいますか、そういう雰囲気で、その他大勢が断末魔のような勢いでなだれ込んできています。

「巻き込まれたい」というのは、それでしか生きている実感を得られないという人間たちです。
それが今爆発的に勢い強く増えて来ています。


ですから私たち宇宙全史に関わるものは現状驚くほどの負荷に晒されていますが、それより心配なのは、大元の陰始が息も絶え絶えなのに、陰始よりの人間勢がそこまで勢いづいていますと、限界が来た時のカタストロフィ(崩壊)の大きさが予感されます。


くれぐれも気を引き締め、平静さの中での祈りを忘れず、準備だけはキチンと整えておきましょう


くどいようですが異変を予見しているわけではなく、何事があっても動じないような心身と周りの準備は、いついかなる時でも必要なものです

人々の気づきが大きく広がれば、何事もない未来、小事で済む事象しか起きないこともあるのです

それには世の中的には目立たぬお仕事ですが、祈りが最も有効な皆さん方の使命になるのです

自らを救い世界をも救う祈りの徳は大きく皆さん方の運命を変えていきます

心してお祈りください
(これまでに祈りの力を自らのものとされた方は幸運です)



虚空蔵55

2017/12/14 No.378

これは右のNo3523に対する回答です

確かに神社仏閣の現状はその多くは魑魅魍魎の住みかとなっています(今話題になっている富岡八幡宮を持ち出すまでもないことですが)。
しかし心身を清浄に保ち、古からの戒律を守り続けている処には神が降りる場があります。

例えば宇宙全史が月読之大神との縁を得るため、かつてみわが伊勢神宮に行ったことがあります。
伊勢神宮も全体が統一磁場にあるわけではなく、ある一定の場所のみが月読之大神や他の神々とつながる場所があります。
またその場であってもしかるべき人間が祈らねば何の反応もないことは当然です。
蚕の社に天之御中主大神は常駐されてはいませんが、やはりしかるべき存在がそこで祈ると通路は開きます。
ただこの「しかるべき存在」というのが肝で、地上に宇宙の中心神である天之御中主大神と周波数が合うような存在がいるのかということがあります。


「その巫女は天之御中主之大神をどのように目撃したのでしょうか。天之御中主之大神は姿形としての実体があったのかどうか」

●これに答えるのは中々難しい仕事です。

しかしその巫女の目線だけお伝えするのは簡単で、正にあなた方がたまに見るUFOを見るような感じで見ています。
もちろん絵的には昔の絵画にあるように天上から雲に乗り神々が光り輝いて降りて来るという図になっています。
この説明には、

@人間の感覚器官

Aその感覚器官からの情報を認知するための構造

という二つのシステムが人間にはあります。
そしてこの構造の裏にはとても複雑な「人の心」の真実が隠されているのです。
それを今ここでは説明できないので(「エゴ」の本の中で詳しく解明されています)はしょりますが、その時その巫女の目には上記のような風景が見えていたということがいえます。
その時その場には巫女しかいませんでしたから、他の人間にどう見えたかは不明です。

ただ質問の「実体があったのか」という答えは「あった」ということがいえます。
そもそも「実体」とは何かという命題を飛ばしてお答えしていますから訳が分からないと思いまが、この命題も突き詰めるとややこしくなっていきますのでまたいつかということにしておきます。

この巫女の洞には天之御中主大神の降臨の前に不思議な生き物が出現していました

それは今のシカのような生き物で、峻険な岩山の崖の中腹をスイスイと登って行っています

ただそのシカは動物というより、植物のような波動を持つちょっと変わったとても大きなシカでした

それが何であるのか明確には特定できないのですが、天之御中主大神出現の禊として現れています

私が昔日本の中央山塊で修行じみたことをしていた時、やはり非常に大きな生き物(シカのようなカモシカのようなよく分からない生き物)と遭遇しています
それは私が山を下りる時でしたが、常に姿を見せず(それでもすぐ側にいて、藪や木立の向こう側からガサガサという音がずっとついて来ているのです)、人間の歩く道に出る寸前に振り向くと、大きな体の正面をこちらに向けてじっと私を見ていました

しばらくお互い見つめ合っていましたが、すぐにそのシカのようなものは山に消えていきました

ただそれだけのことでしたが、いつまでもあの目は忘れられません

虚空蔵55

2017/12/11 No.377

これは右のNo3522に対する回答になっています

ここではまだ書いていませんが以前日本の歴史を(天皇を中心に)調べたことがありました。
つまり神武天皇からずっと系譜をたどって、どういう日本史になっているのかを探ってみたことがあります。
まず神武天皇という人物は存在していないというのがありましたが、そもそも古事記や日本書紀に記されてある天皇の系譜やその成り立ちが出鱈目といいますか、自分たち(当時の中央政府)の都合のいいように組み立てられていました。

なので聖徳太子の手前あたりで調べているのが何だかバカバカしくなり、今はそこで頓挫したままになっています。
それでも結構長い物語になっていますが、戦時中なら国賊として捕まってしまうほどのひどい内容の天皇家の物語となっています。

つまり現在皆さん方が敬い崇め奉っている天皇もそうですが、日本の神々も古事記や日本書紀が原点になっていますから、出鱈目といってしまえばそういうことになってしまいます。
しかし古事記にしろ日本書紀にしろ全く何もないところから書いているわけではなく、そこまでにあった伝承や伝説、ローカルな口伝などを収集して(都合のいいように)集大成したものですから、それなりの下地といいますか背景は存在していたといえます。

例えば天之御中主之大神はそれ以前から宇宙神としてありました。
天之御中主之大神が最初にこの日本に降ろされたのは弥生時代以前、さらに縄文よりも前のBC:6000年頃に確認されています。

場所は東北の北の方(青森まではいかないようです)の山岳地帯で、崖っぷちの洞にいる巫女により目撃されています。
日本という国は世界の中でも結構重用なポイントになる火山国なので、たまに偵察に宇宙神が降りてきます。
それでもそれ以前は確認できる人間がいなかったので、降りて来てはいたのですが目撃はされていません。
この時巫女はこの存在を初めて宇宙神(世界そのもの)と認識しています。
もちろんその頃日本はおろか世界中のどこであっても「宇宙(恒星があって星雲があってという)」という概念は存在しませんでしたが「天はこの世界を映すもの」という認識はあったのです(そこから占星術などが生まれています)。

当時の日本は縄文時代が始まる前ですが、すでにある程度の文字のようなものはありました。
よく猟師などが用いるこの枝や小石で方角や獲物の印を表す記号のようなものでしたが、一応文字らしきものはあったのです(もちろん複雑な文章を記すことは出来ませんでした)。
また土器とまではいかないまでも、もう少し原始的な木を彫ったような器や、石を削ったものもありました。

そこでこの巫女は天之御中主之大神を「天之御中主之大神」という言語化はしてませんが「森羅万象の神」と認識しています。
そしてそれを衆生には「大きな神」という非常に単純ですが「すべての神々の中で最も大きな神」と伝えています。
それが古事記あたりで大仰な名前の「天之御中主之大神」に定着しています。

なお月読之大神は天之御中主之大神が降りて来たときに大勢の神々を連れ立ってくるのですが、その中の一人として認識しています。
それ以降月読之大神の位置は大体そういう形になっていますが、実際は天之御中主之大神(宇宙)を超えた存在であることがここ(宇宙全史のワーク)では開示され始めています。

ですからあなたがこのような神々の形を知らなくても当たり前なのです。
アマテラスやスサノオに関しましてはまた長くなってしまいますのでいつかまた書くことにしますが、日本中の神社などで祭っている神々は実体としてそれなりにあるのですが、やはり「それなり」なのです。
「それなり」とは人々が拝む対象としてある限り、存在として形をとる有り様があるということです。
ややこしい言い方ですが「人が望むとそういう対象が生じてしまう」ということがあります。
ですから天之御中主之大神が祭ってある神社だから天之御中主之大神がいるのかというとそういうことではないのです。
そもそも宇宙神がそんなところにいるわけがないのです。

先ほど縄文以前にある巫女のもとに降りて来たといいましたが、この巫女は普通の巫女ではなく、ある意味「狂っている」巫女だったのです。
「狂っている」というのは「一般の価値観とは異なる価値観を持つ」ということで、だから岩山の洞に住んでいるのです。
私(遊撃手ですが)流にいいますと、「塵芥にまみれ薄汚れた神社などに宇宙神が降りるわけがない」ということがあります。
普通の神々はいます。
でもそれはあなた方に通じる普通の神々、あなた方が造り上げた常識の範囲の神々なのです。
だからたまにはあなた方の徳に応じてご褒美もくれるでしょうし、頼み事もお賽銭の多寡に応じてきいてくれるかもしれません。
しかし本当の神々は「気狂い」のところにしか降りてこないのです。
(この「気狂い」は精神病という意味ではなく、一般常識から外れた者という意味です)

しかしそれではあまりにも掴みどころがありませんから、宇宙全史では「あなたの良心に従って」というより所を教えています。
この「良心」に関しましては、非公開情報11で少し詳しく書いておいたはずです。

宇宙全史は難しいワークですが、あなたが最後に書いておられたその志が、あなたをしてここに導いて来ています

世界人類が平和でありますように

宇宙全史に関する質問、ご意見

名前
質問内容

ときまつ

2017/12/31 No.3545

虚空蔵55様

質問への回答ありがとうございました。
回答に対して、まだ十分に理解出来ていないことがありますが、現時点での疑問とその他気になることを質問させて頂きます。

●「本当にやりたい事」とは、「集合魂の望み」とありますが、宇宙全史1では、日々の生活で、自分の「思い」「感情表現」まで自由に出来るかどうかが大事で、自分の素直な感情が解放されるとおのずと本当に自分のやりたいことが見えてくるとあります。
ということは、他者の思い(社会常識、世間の目、両親からの価値観等)を一旦横において、自分の思い(本当はどうしたいのか)を知ることが必要になってくると思いますが、「自分の思い、感情」=「集合魂の望み」と考えてよろしいでしょうか?また「自分の思い」は「エゴの欲望」とは違うということでよろしいでしょうか?
「誰が地球に残るのか」の本では、ピカソは陰始の影響をほとんど受けていなかったとありますが、ピカソは「自分の思い」で生きられており、「エゴの欲望」で生きていたわけではなかったということになるのでしょうか?虚空蔵55様でも、「自分の欲望」との判別がつかないことがあると聞き、ちょっと驚きました。。

●守護霊様からのお言葉ありがとうございました。
「自分を客観的に観察してみる」ことについてもう少しだけ具体的に教えて頂きたいのですが、自分の思い、感情、置かれている環境等を、他人ごとのように観察していくことでよろしいでしょうか?

●「私たち宇宙全史に関るもの現状驚くほどの負荷に晒されていますが…」と書かれていましたが「私たち宇宙全史に関わるもの」とは、虚空蔵55様とみわ様、お二人のことを指しているのでしょうか?もし宇宙全史を学んでいる人達もその中にはいるのなら、それぞれが負荷を受けていることになるのでしょうか?

よろしくお願い致します。

2017・⒓・29
ときまつ様


、「自分の思い、感情」=「集合魂の望み」と考えてよろしいでしょうか?また「自分の思い」は「エゴの欲望」とは違うということでよろしいでしょうか?



●それで結構です。



「誰が地球に残るのか」の本では、ピカソは陰始の影響をほとんど受けていなかったとありますが、ピカソは「自分の思い」で生きられており、「エゴの欲望」で生きていたわけではなかったということになるのでしょうか



●そうなります。

結構好き勝手にに生きていましたが、彼はほぼ集合魂の思いで生きています。

ただ一つ思い出していただきたいのですが、彼の集合魂は特殊な集合魂で「アーティスト」の集合魂だったはずです。
そしてその集合魂のエネルギーはとても大きくて通常の人間よりは自由に生きることが出来たのです。




虚空蔵55様でも、「自分の欲望」との判別がつかないことがあると聞き、ちょっと驚きました



●そうですか。

完全覚醒するまではどんな存在であろうともエゴとの戦いには終わりがないのです。

しかもクリアするのが段々難しくなっていくのが恐ろしいところです。

どうでしょうか、楽しみになって来ましたか。




「自分を客観的に観察してみる」ことについてもう少しだけ具体的に教えて頂きたいのですが、自分の思い、感情、置かれている環境等を、他人ごとのように観察していくことでよろしいでしょうか



●それ以上の言葉は降りてきません。

おそらくそこから考えなさいということでしょう。

概ねあなたの思っているところで結構ですが、

「誰がそれを行って(考えて)いるのか」

というところを思案してみるといいでしょう。




もし宇宙全史を学んでいる人達もその中にはいるのなら、それぞれが負荷を受けていることになるのでしょうか



●皆さん方は逆に負荷から遠ざけてもらっているのです

それが分からないほど祈りから遠ざかっているのは寂しいものがあります

祈りを授かった幸運を

その僥倖を

あなたは何処に捨ててしまっているのでしょうか

さもなくば

あるのは感謝のみの筈です

RIEさんに書いた三つの宝がありました

それが実行されたとき

一つの本当の宝が手に入るのです

それは手に入れようとしても誰も手に入れられない宝

「感謝」

です

その本当の意味が

いつか分かりますように


世界人類が平和でありますように

五井先生有難うございます

月読之大神有難うございます


Kazu

2017/12/31 No.3544

虚空蔵55様、みわ様、
早速ご回答いただきありがとうございました。
まずお詫びですが、「個人のエネルギーの容量は、エゴが埋まるほど増えると考えてもいいのでしょうか。」は、「個人のエネルギーの容量は、エゴが薄まるほど増えると考えてもいいのでしょうか。」の間違いでした。推敲不足で余計なお手間をおかけし、申し訳ありませんでした。
今回のご回答でエネルギーの容量は生まれつき一定と教えていただきました。ただし、この説明は語弊がある部分があるとのことでしたので少し考えてみました。貯まっているエネルギーの量が一定でもエルルギーの質には違いがあり、より良質のエネルギーで満たすことが可能ではないかということです。質の評価の仕方はわかりませんが、ひとつには純粋さの要素があるように思います。また、エネルギーの量と質が同じでもエゴが薄ければ人には強いエネルギーとして感じられるのではないかとも思いました。理由は、エゴによるエネルギーの遮断が少なくなるため外部には強く感じられるためです。
また、祈りの効果のご解説もありがとうございました。まだまだ世界平和の祈りには奥深いものがあるとのこと、今後も一層祈りを大切にして実践・学習していきたいと思います。
今後エゴの本で勉強させていただく有難い機会を与えていただきありがとうございます。本の発刊を楽しみにしています。

2017・⒓・30

Kazu様

●エゴが薄くなれば、これまでエゴが使用してきていたエネルギーが使えます(貯まります)。

つまりエネルギーの容量は一定でも、使えるエネルギーが増えるということです。

確かに「エネルギーの質」というものはありますが、それはもう次元の異なるお話しで、この世界にいる限りはほとんどその質をどうこう出来るものではありません。

次元移動出来るくらいの力があれば別ですが…

ダヴィンチがいっていますように「この世界はファンタジー」という感じですので、人間感覚でどうあがいても、所詮はファンタジー並のエネルギーなのです。

実際真剣な恋をしたり、純粋な友情を交わしたり、かけがえのない家族愛を経験したりと色々ありますが…それはもちろんこの世界では価値あることなのでしょうが、やはり所詮ファンタジーなのです。

そこには実体のない空虚な感情の高揚があるだけで、ひと時の感傷の波の後には無駄なエネルギーを使い込んでしまったいいようのない後悔と侘しさが残るだけです(もちろんエゴまみれではそういう後悔も残りませんが)。

随分冷たい言い方をすると思われるかも知れませんが、エゴをなくしていくという作業の果てにはそういう境地と向き合わなければならないのです。
それが皆さんに出来るかどうか、ここで相当勉強なさらないと難しいかも知れません。

そこまでいかなくてもファンタジーの世界で清く正しく生きてユートピアに残るという資格を得ることはギリギリ出来るかも知れません。

何を選択するかは又これもエネルギーの多寡によるのですが



虚空蔵55


Kazu

2017/12/29 No.3543

虚空蔵55様、みわ様、
いつもありがとうございます。
エネルギーに関連した質問をさせていただきます。
エネルギーを貯めるには、エネルギーの流入を増やすこと、エネルギーの消費を減らすことの両方が必要に思います。この両方に最も有効なのは、世界平和の祈りであるため何度も重要だと教えていただいているのだと思います。このように考えても問題ないでしょうか。
また、流入するエネルギーはどこから来るのでしょうか。根源からのものがいくつもの存在を経由して来るのだと教えていただいていますが、集合魂を経由、地球を経由等があると想像しますが、どのルートがメインになるのでしょうか。今日集合魂どの繋がりをイメージしたところ、エネルギーが入った感覚があったので質問させていただきました。
もう一点ですが、個人のエネルギーの容量は、エゴが埋まるほど増えると考えてもいいのでしょうか。それとも生まれながらのものがあり一定なのでしょうか。
以上教えていただけますと幸いです。

2017・12・29
Kazu様

エネルギーを貯めるには、エネルギーの流入を増やすこと、エネルギーの消費を減らすことの両方が必要に思います。この両方に最も有効なのは、世界平和の祈りであるため何度も重要だと教えていただいているのだと思います。このように考えても問題ないでしょうか




●「祈る」という作業には皆さんは単純すぎて面白みがないとか、ダイナミックさがないとか色々物足りなさを感じられているかもしれませんが、そこには実に深遠な導きが内包されています。

今はこの質問の側面に沿ってだけお答えしますと、

@この後の質問にも関わっていますが、分かりやすくいいますとエネルギーを流入させるには集合魂の応援が必要ですが、祈りの効果で集合魂が上昇気流に乗れるため、相乗効果で地上のあなたにもエネルギーがおすそ分けされます。
(この言い方には語弊があるのですが、今は修正しないままにしておきます)

A「祈る」という行為に求められる要素の一つに「エゴを薄くする」というのが元々存在します・
つまりエゴが濃いと「祈れない」のです。
バカバカしいとか、子供っぽいとかエゴが感じてしまうのです。
この「祈る」行為は「自分を明け渡す」という単純なものではなく、本来「エゴを薄くする」という行為に準拠されるものです。

どう違うのかといいますと、

〇「自分を明け渡す」という行為は、「自分(責任)を他にゆだねる」という行為になります。
これはゆだねる先が良ければいいのですが、大概は間違って大変なことをしでかします。

〇「エゴを薄くする」という場合の祈りは、「自助努力」という作業が含まれます。
つまりエゴを薄くするために「自らを見つめる」という作業ですが、「自ら」というのがポイントで、この場合の「自ら」は「自分の嫌なところ」「ダメなところ」「見たくないところ」です。
そういう行為の推進剤として祈りが効果を発揮します。

そしてこの行為はあなたがいうように「エネルギーの消費を減らす」というとても有効な手段になっているのです。




個人のエネルギーの容量は、エゴが埋まるほど増えると考えてもいいのでしょうか。それとも生まれながらのものがあり一定なのでしょうか




●「エゴが埋まるほど増える」という質問の意味が判然としないのですが…おそらく「エゴが増えれば増えるほどエネルギー容量が増えるのか」という質問でしょうか。
もしそうなら否です。
そもそも「エゴが増える」という表現がちょっとおかしいです。
「エゴが濃くなる」とか「エゴが強くなる」といういい方が正しいですね。

個人のエネルギー量は生まれつき一定です。
増えも減りもしないのですが(これが先ほどの最初の質問時の「語弊がある」という変な言い方になるのですが、矛盾ともいうのでしょうか)、

「人のエネルギーは生まれつき一定である」

「しかしエネルギーを増やすことも出来れば減らすことも出来る」

これはまた答えが長くなる命題で、「エゴ」の本で詳しく書いておきますので、そちらで勉強なさって下さい。



虚空王55

RIE

2017/12/28 No.3542

虚空蔵55さま、みわさま、月読之大神さま

こんばんは。
回答ありがとうございました。


>キチンとした正確な質問には正確な答えが降りて来ますよ、逆に不正確な質問には不正確な答えしかおりません。


本当にその通りでした。今回は大変申し訳なかったと思います。それにも関わらず、回答頂けたこと、感謝いたします。


(目的に対する)真剣さ
(教えを乞う)謙虚さ
(自らのエゴを見透す)明晰性


しかと、自覚致します。

>そのステップの前段階の一つで、まだまだ先があります


分かりました。ありがとうございます。当然のことだと理解しています。まだまだ、進化の先は、果てしない。今の位置が、私自身が望む現実のゴールでも、魂の望む位置でもないことは、十分に感じているところです。


今の段階では、虚空蔵55さまがおっしゃる、本来の自分…というもののヴィジョンは、まだ分からないのですが、使うエネルギーの方向性のシフトが必要だということは十分、腑に落ちています。


兎にも角にも、ひとつひとつ、目の前のことを丁寧にやり遂げ、かつ、こだわりを持たず、変化を恐れず、祈り、全託することを旨として、次のステージにステップアップしていけるよう、更にがんばりたいと思います。


2017年も、多くを学ばせていただき、本当にありがとうございました。
来年も、どうぞ、よろしくお願い致します。


2017・12・28

RIE

2017/12/27 No.3541

虚空蔵55さま みわさま 月読大神さま


こんばんは。
いくつもの質問に丁寧にお答えして頂き、ありがとうございました。今回、回答して頂いたことの中には、私に縁をする人々にとっても、どこかで、あぐらをかき、自分のことしか見ていない自己中だった…という自覚が、ようやく芽生えた、良い機会になりました。



ここ最近、協会のコンテンツを学びに来てくれているスーザンさんが、協会メンバーに起こった事象の中で、世界平和の祈りについて自らの経験値をシェアしてくれました。そのことが協会全体においても非常に良いインパクトになったのです。私には、彼ほど世界平和の祈りが、人生に奇跡を起こしたという経験値が、未だ希薄なせいか、縁をしている人々に及ぼす力がどうしても弱いと思っていました。



私が話すことは、人が進化成長し、運命が少しでもレベルアップできる為に、私自身のこれまでの人生の中で、奇跡と思えるほどのインパクトがあり、機能した経験値を持つことや、ものを筆頭に、自分が学び、体験し、探求し、理論も分かり、閃きと融合させ、ブラッシュアップし、オリジナルなものにまで落とし込んだ内容が多いのですが、



それら血肉となっているものは、当然、パワーを持ち、影響する言葉となるようで、長年それをやり続けてきました。でも、今回、ようやく世界平和の祈りについて、一段深く、腑に落ちたことがあったのです。



きっかけのひとつはNo3535のときまつ様の質問に虚空蔵55さまが回答されていた、以下の内容を読んだ時に受け取った感慨でした。虚空蔵55さまとは、レベルは相当に違えども、私も、同じだ…と強く思えました。



>ですから常に(普通の感覚からすると)嫌がられる、嫌われるようなことばか>り書いているかもしれません。
>しかしその人の集合魂からは「お願いですから厳しい指導をお願いします」と>頼まれているのです。そしてそれでダメならもう仕方がないとほとんどの集>合魂は思っています。なぜならこれまで散々甘やかされて来た(甘言やお世辞、>おためごかし、美辞麗句を鵜呑みにしていた)ので、ここでダメならもう後が>ないくらいの悲壮な思いでここに導いて来ています。



私がやっていることも、まさにそれだ〜。だから、とっても良く分かると。この数年、日々、ご縁しているメンバーの背景にある方の意図に感応して、深く眠り込んでいる意識に伝えんがために、私が時に媒体になり、相当エネルギーを使い、伝え、その一点にエネルギーを注ぎ、生きているようなものだ…と。



私は、若い頃の経験値もあってか霊能者と言われる類の方は嫌いで、自分がそうなりたいとも微塵も思わず、これからもそう在るだろうと思います。ただしかし、
自然界からのサインやメッセージを受け取り、人生に生かすことは、もちろんあり、縁ある人の背景の方々が伝えんとすることに感応して話すことも、空間情報を読むことも、日常的にあります。



(それを霊能とも能力とも思ってないですし、長いことこういう志事をやってきたので、単なる「職人芸」だと認識しています。もちろん、それを表立った志事にもしていませんし、特殊なことや世に溢れている霊能の類は嫌いなので、むしろ、みんなが霊能者に頼らずとも、自分の運命位は、学べば、ある程度、自分で読み取れるようになれる、そんな意図もあり、NE運命解析学という理論的な道具を創った位です)



背景の方々からの信号を受け取ると「言わせられているスイッチ」が入るので、分かるのですが、虚空蔵55さまが書かれていたように、普通の感覚からすると嫌がられるとか、嫌われるようなことを、普通に全身全霊で話します。



私の中には、人に好かれたいとか、嫌われたくないというマインドはあまり持ち合わせておらず、例え嫌われても、この一期一会のやり取りの中で、その方の魂が進化するきっかけとなるならば、それで良い…という信念があります。故に、見えない方々からすると、使い勝手が良かったのかもしれません。



協会の中では、そのことを「辛子蓮根ラブ」と称し、一種の文化になっている感があります。辛子蓮根とは、涙が出るほどピリカライけど、滋養強壮となる食べ物で、私がメンバーに厳しく接する時の比喩です。



協会がスタートし、かれこれ4年。紆余曲折の中、コンテンツや土台、仕組みを作り、辛子蓮根ラブも織り交ぜながら、メンバーやスタッフ、受講される方と向き合い、関わる中で、意識レベルも上がり、自立の道に踏み出せそうな面々も出てきた半面、10年以上、私の話を聞いていても、未だ、頭でっかちになるだけで、相も変わらず自己中で、甘えと依存で、行動にすら移せない人に分かれてきています。



少なくはないそういう人々に、どれだけ時間を割いて、背景の方々の思いを受け取り全身全霊で伝えても、背中で見せて、やって見せても、行動しない、継続できない、気づけない、受け取れない、誤魔化す、逃げる、すぐにグルグル巻きになる…「鉄壁の壁」とでも例えたくなるような業の深さにひとりひとり向き合い続け、やるだけやって、この冬頃から、とうとう思っていたことがありました。



もう、来年からは、そこにエネルギーを使うことはやめて、私自身が上昇するために、本来、向かうべき所にエネルギーを使おう…と。



そのさなか、今回、虚空蔵55さまの回答に
>その時までに、あなたが本来のあなたに目覚め…と書いて頂いたことで、気づいたのは



ご縁ある人の背景の方々に感応して、エネルギーを一生懸命向けていましたが、それは、私の集合魂なのか相手の集合魂なのかは分かりませんが、集合魂側の焦りの信号にコントロールされていた、生き方にすぎなかったのではないか…と。



人が人のカルマやエゴと関わっても、すぐにどうこうなるものではない…ということが長い時間をかけ、やるだけやったので、経験としてよく理解できた気がします。本来それは、常にBBSに書かれているように、五井先生や高次の方々に「委ね」「全託」してしまえば良いことで、私は、もっと違う方向性や、更なる探求にエネルギーを向ければ良いのだと。



そうであったならば、信念の元とは言え、散々、エネルギーを使い、全身全霊でやれることをやりきって、陰極まって陽に変わる時のように、今、ようやく、「手放せる」「明け渡す」「全託」「委ねる」という言葉が私の中でインパクトのある意味を持ち、これまでのように、ただ「祈る」のではなく、だからこそ、よろしくお願いします!という強い思いで「祈るのだ!」という境地に至れたような気がするのです。



その祈りからの、確固たる体験は、きっと、これからですが、この気づきを得たことで、来年からは、楽で、ちょっと楽しみな気持ちになれたことは、ありがたいことです。私の気づきが深ぼれたのは、体験をシェアをしてくれたスーザンさんで、この冬、突如、協会に縁をしてくれたことは善き流れだった気がします。性欲が、性欲が、とかいってますが、非常に真面目で、賢く、面白いです^^(笑)



確認の為に質問させてくださいませ。


質問@
虚空蔵55さまが、本来のあなたに目覚めると、書いてくださった意図は、私が上記した気づきと、認識で合っていますか?



質問A
前回、頂いた回答の中で

>結局二つ問題があるわけです。
>@あなたが想っているOS先生という人格はもうない
>A何かに教わりたいとかすがりたい、依存したいという感覚には答えてもらえない


とあるのですが、すみません、実は、少し、質問の文章を書く時、入り混じった思いがありました。あの時「私が…」OS先生とコンタクトするという思いより、私の知人で、私よりもはるかに、先生の言葉が聞けるチャンネルを磨き、開いて、人生の主軸にされている方がいるのです。



志事でも関わっていて時々、やり取りをするのですが、先生が地球に合体して、人格が無くなった今、その方が、今もって先生の言葉と思われて、聞かれていることが、果たして、どうなのか…自然からメッセージを受け取れているのか?



そのことが質問の根底に含まれていました。ただ、私も純粋に地球に合体した、先生とコンタクトを取ろうと思えば取れるのだろうか?ということは聞いてみたかったので、彼の説明は端折って「私が、コンタクトを取ろうと思ったら」という表現で、質問してしまいました。真意は、その方は、きちんとOS先生というより、自然からの言葉として、コンタクトが取れているのだろうか?だったのです。


その背景があったため、改めて確認したいことは…


「2つの問題」と記して頂いたことを、私の中で熟考してみましたが、今の私の中には、すでにOS先生に教わりたいとか、すがりたい、依存したいという感覚は無いと自覚しています。



そして、自然に聞く時もOS先生を意識して聞くようなことはなく、純粋に自然に聞いていて、答えやヒントの事象を読み解くようにしています。先生から学び、機能したことや、ものを、私なりに探求し、発展させたいという思いはありますが、依存や教わる、すがる、こだわる…という思いはありません。しかし、まだ、私の無自覚には、その要素があると観えるのでしょうか?



質問時の意識が、私よりも、きっと、一途に先生に教わりたい…と思っているであろう、その方のことも考えながらの文章でしたから、その方の意識波動が被ったなんていうことはないのでしょうか?宇宙全史も紹介したので、読んでくれている方ではありますが…。



先にややこしい表現をしてしまった為に、お手数な質問になってしまいました。
私にとっては、その方と関わる上でも見定めないといけないところでもありますので、先の質問共々、よろしくお願いいたします。

2017・12・27

RIE様


質問@
虚空蔵55さまが、本来のあなたに目覚めると、書いてくださった意図は、私が上記した気づきと、認識で合っていますか?


●そのステップの前段階の一つで、まだまだ先があります




質問A
質問の文章を書く時、入り混じった思いがありました。


●宇宙全史は送られて来た内容の質問にしかお答えしません。
ですから常に正確に、詳細に書くように指導しているはずです。

それ以外に答えようがないといいますか、上の方は答えようとしません。
せいぜい私が少しフォローするくらいですが、例えばここには悪意のメールといいますか、嘘の内容でこちらを試すメールを送ってくる方が以前は少しありました。

初期の頃ですからもう10年以上前ですが、そういう場合でも答える時がありました。
何故答えるのか意味がよく分からなかったのですが、嘘には嘘を、いい加減な質問にはいい加減な内容が返ってくるということを教えるためだったのでしょうか。

いずれにせよ私の知ったことではないので、あまり気にせずそのままにしておりました。
他にも私の勘違い(例えば男性を女性と錯誤してしまう)も放置され、気がつくまでそのままだったりします。
そうした月読之大神の厳しいご指導(♪)の賜物で少しは洞察力といいますか観察眼といいますか、そういうものが進化していった気もしています。

まあ何がいいたいのかといいますと、キチンとした正確な質問には正確な答えが降りて来ますよ、逆に不正確な質問には不正確な答えしかおりません。

「そこは神なんだからわかるでしょう」的な傲慢な思いはここではどうも通用しないようです。
あくまでもここは学びの場なのです。
求められるのは、

(目的に対する)真剣さ

(教えを乞う)謙虚さ

(自らのエゴを見透す)明晰性

です。




「私の知人で、私よりもはるかに、先生の言葉が聞けるチャンネルを磨き、開いて、人生の主軸にされている方がいるのです」


●この方は本当に0先生に心酔しておられて、0先生の後を追っておられる方です。

ですからこの方には0先生の恣意が深く浸透しています。
そのフィルターを通して先生の恣意(意識)を解読しているので、先生が自然界と一体になった今でもさほど支障はないようです。

つまり残留思念を通してもコンタクトはとれるのです。

いってしまえばこちらの意志の問題ですね。



虚空蔵55



どっぺん

2017/12/27 No.3540

虚空蔵55様 みわ様
おはようございます。いつも御指導ありがとうございます。
今朝瞑想をしておりましたら、これまで世界平和の祈りの中に入っていって、そこで感じられていた真我が、私の脳下垂体の辺りに寄って来たような感じがしましたので、大変嬉しかったです。それをもっともっと落とし込みます。
この前いただきました御指導により、三人の患者との治療関係はその日からどれも劇的に変化し、安定に向かいました。これはつまり、ご指摘の通り、私のせいだったということになります。未熟で情けない限りです。
この度もまたここで質問をさせていただける奇跡を、驚きと共にあらためて深く認識致しました。その幸福に感謝の気持ちで一杯です。ありがとうございました。続けて精進いたします。明日のために祈り続けます。

2017・12・27

2017/12/25 No.3539

虚空蔵55様 みわ様

お礼が遅くなり申し訳ありません。
非公開情報の権利取得の審査、ありがとうございました。「保留」とのことで、エゴ薄くすることお祈りをして権利が貰えるよう頑張ます。「エゴ」の本もぜひ読みたいと思います。

ひとつ質問があります。バーナデットさんの書籍を読んでいた時、少しの間、気づいたら心の中に広い空間が出来ていて(心の中で)叫んでも消えていく、心の中のおしゃべりもたぶん止まっていた、という体験をしました。
あの体験は妄想や幻覚みたいなものだったのでしょうか。なにか特別なものではと考えてしまいます。

執着がなくなるようお祈りします。
どうぞ宜しくお願い致します。

2017・12・22

空様

「バーナデットさんの書籍を読んでいた時、少しの間、気づいたら心の中に広い空間が出来ていて(心の中で)叫んでも消えていく、心の中のおしゃべりもたぶん止まっていた、という体験をしました」

●幻というわけではないのですが、バーナデッドの境涯でもありません。

一つの体験ではありますが、通常よくある体験でそのままでしたら別に問題はないのですが、そこに満足し、そこに執着してしまうとすぐに悪しきもの、悪しきゾーンに足を引っ張られてしまいます。

そもそもバーナデッドの境涯には「叫び」自体が存在しません。
またその境涯に至ればここに聞くこともないでしょう。

おそらく多くの人がこういう段階で引っかかってしまうのです

エゴは「特別な何か」が大好物なのです



虚空蔵55


2017/12/25 No.3538

虚空蔵55様、みわ様、五井先生、月読の大神、いつもありがとうございます。

 端的に質問します。現代の人間は昔の人間の何%ほどの魂の容量なのでしょうか?例えば、12万2000年前のアセンション寸前や、BC500年の仏陀時代などと比較して。



 釈迦が死後500年(1000年?)は正法、その後500年(1000年?)は像法、その後は末法になると説かれていますが、これは急激に一人あたりのエネルギー量が低下する時期を予告していますか?

 それ以前の人間は、自我も十全でエネルギー量も多く、顕在意識と潜在意識の分離がなく、思考と行動に違いがなく、悩みや逃げるといったものもない、それで(ホメロスのイーリアス的な)神の声を聴いたりできたのでは。経験の記録容量が多く、認識の範囲が広くて深かったのではないかと。現代人はエネルギー量がが極端に少ないというか薄いがゆえに、文字が発達し、文化思想が発達し、科学が発達した、妄想精神病患者そのものではないでしょうか。

 それではよろしくお願いします。



2017・12・21

海様

この問いは別な意味で問題があり今はお答えできません。

おそらく「例の本」かひょっとしたら「エゴ」の本の中で明らかにされるかも知れません。



虚空蔵55





いくと

2017/12/25 No.3537

虚空蔵55さま、みわさま

自分のパソコンは管理が行き届いていないので、別の場所に移してパソコンのデータは消そうという考えだったのですが、いざ消すとなると、それも何となく不敬なようで躊躇されました。

とはいいましても男に二言は無しということで、祈りとともに移し替えを完了させていただきました。

(下記の心臓のこととも関連していると思われるのですが、ほんと自分は小心者です)


二点ご報告がございます。

一点目は、件の映像がクローズされた後の夜のことです。

深夜に目が覚めて、心臓に痛みを覚えました。その痛みは決して悪い感じではなく、感覚としては修復されているようでした。

その時までは、エネルギーを受け取るということは、気づきを得やすくなるのかなあと、漠然と思っていたのですが、こういうダイレクトな形もありなのか?!と認識を改させられました。
(映像と関係がなかったら、すみません)

その日の日中は、僕のエゴがうまく対応できていないせいか、悪い意味で痛むこともありましたが、それでも以前よりはだいぶ過ごしやすい一日でした。
(祈りも以前よりしやすくなりました)



二点目は、昨晩の夢のことです。

うまくバランスをとれないながらも、懸命に何かから逃げていた場面で、白いオーブ状のものに短い尾がついたもの(マンガなどでよく表現されるような霊魂のイメージ)とすれ違いました。

すると場面が変わって、僕は必死に簡単な呪文のようなものを唱えていて、なんとかその場面は切り抜けることができました。

チャンバラごっこの法力勝負版という表現がしっくりくるかもしれません。(レベルがとても低いのですが、それでも必死でした・・)

決着がついたとき、相手は「自分の身の心配をしとけよ」みたいな台詞を吐いていましたが、見た目がマンガチックの風貌(デフォルメされた小悪魔みたいな?)でしたので、あんまり怖くもありませんでした。

あまりドスの効いていない捨て台詞でしたが、「たしかにうかうかはしてられないな」と。

呪文は、記憶では「ギンゴン・ギンゴン」みたいな、とてつもなくへんてこなやつで汗、目が覚めてから「そんなへんてこな呪文を唱えるくらいなら祈れよ」と夢の意識の僕に対して思いましたが、なんとかなったので取り敢えずは良しいうことに・・。

その後まっさきに連想されたのは、やはり件の映像で、たくさん漂っているらしいうちの一体を一時的に寄越してくださったのかなあ、とか思ったりもしております。


上の二件が映像と関係があったにせよ、なかったにせよ、恩恵は恩恵で、ただただ有り難いです。僕はぜんぜんまだまだです。祈りを深められますように。

2017・12・19

いくと様

一点目です

●これはほぼその通りです



二点目

●あなたが戦った相手はあなたのエゴです。

そのへんてこな呪文はあなたのエゴが「お祈りなんてバカらしくてやってられないや」「こっちのほうがましさ」という感じでやっています。

まあそういうパターンを見たということはそれなりの進歩かも知れません。



虚空蔵55


スーザン

2017/12/24 No.3536

虚空蔵55様、みわ様

いつもお世話になっており、大変ありがとうございます。私の語彙力の不足から、感謝を表す言葉がいつも定型の文章になってしまうのですが、心より感謝申し上げます。
私はといえば、今日も不甲斐ないながらも元気に学ばせて頂いております。

今年は2017年ということで、私も宇宙全史で学ばせて頂き早いもので10年の歳月が流れました。私の記憶が正しければ、五井先生のお祈りとの出会いも今年の年末で10年になるものと思います。

振り返ってみれば、始めの頃は能天気にも、あまり深く考えずに、すごいところに来れたものだ・ラッキーだと思っていたのですが、徐々に私の業の深さに驚き、その返済に首が回らなくなりと、途方に暮れるようにようになりましたが、それでも何とか五井先生にすがりながら、手探り状態の中、宇宙全史のワークにぶら下がってくることが出来ました。

今思い返してみれば、地球はオーム宇宙のゴミ捨て場であり、最後の実験星と表現されるようなものすごい環境であり、その中にクズ中のクズと表現されるような私が棲息しているのですから、それはそれは如何ともし難い状況に陥るはずだと思います。

しかし、そのような環境の中にあっても、五井先生の祈りのような私の当時の状況からは決して見つけることの出来ない・得られようも無い宝物が目の前に現れるとは、今もって信じられないような奇跡的な事が起こったものだと、宇宙の不思議に驚くばかりです。今改めてそのように考えてみると、10年前とはまた違った意味で私はラッキーだったと感じられます。

今後も大変なことが山積みになっており、まだまだ目標とする地点は遥か彼方にあると思われますが、今の浅い祈りから少しでも深く祈ることが出来るよう、祈り続けたいと思います。

今後ともよろしくお願い致します。ありがとうございます。

2017・12・23