本日は、和田さんが初心者に薦めるアニメへの入り方講座でした。
アニメを見るならどこを入口にするか。
お薦め作品は、1979年の劇場版「銀河鉄道999」
小松原一男、友永和秀が作画をし、メーテル星の壊れる名高いシーンをカリスマ金田伊功が手がけている。まず、これを見るべし。
その上で、それぞれの動きにこだわること。
アニメの動きには、リアルな動きと、必ずしもリアルにはこだわらない動き方の2種類が存在する。
このリアルな動きの画の代表は宮崎駿である。
天才・宮崎駿は、原画にみずからラフの修正を入れるため、宮崎アニメはすべてが宮崎の画といえる。こう向いたら肩の位置はここ、のようにぴたりと来る精密さがあり、卓越した動きのリアリティをもっている。
一方、リアルでない動きが、前述の金田伊功である。金田の画は、極言すると「かっこよければいい」という絵で、前半速く後半ゆっくり、というような独特のタイミングをもっている。
その金田ものちに山下将仁が出てからは変化してきた。山下のタイミングには特徴的なメリハリがあるが、金田もそれに影響されたといえる。ただ、現在のアニメがリアルな動きを要求されることもあり、また、自身の画の変化もあって、今このタイミングは使うことができない。
以上、和田さんのお話です。
ストーリーでなく作画にこだわる見方があるのは知っていましたが、そのこだわりへの入り方を、動きの速度、タイミング、といった点に絞って具体的に教えていただきました。
カーチェイスの速度を表現するとき画を何枚入れて何秒にするか。そういった部分に作画家の個性が出るという話には、映画でも漫画でもない、他ならぬ「アニメを見る」行為に特化した凄みがありました。
現実の画面においては瞬時に過ぎ去る動きであるわけですが、和田さんの言葉には、画面の背後につらなる、或る秒数の中の枚数を知覚しようとする感覚の強度を感じます。「速度」「タイミング」とは、流れる時間の奥に重なる枚数を望見し、作画家の腕を堪能する語であることを知りました。
近年デジタル化によってこういった手法も変化してはきたが、結局すべてをコンピュータで動かそうとする試みは失敗したとのことです。アニメ製作を構成するそれぞれの要素や手順が、それを捕捉する「眼」の質を規定するなら、それでは7割デジタルという「亜人」等はどういった変化を要請するのか等も知りたくなりました。
アニメの「描写」や「表現」という言い方がやや雑駁なものに感じられてくるほど、新しい見方に触れた貴重な時間でした。
アルバイト・池田