2000年頃、アニメーションの作画システムに大きな変化が起きる。作画のばらつきを抑えて統一を図るため、従来より早く設計図の段階で作画監督のチェック・修正が入るようになったのだ。その結果、各パートのぶれは少なくなり総合的にクオリティは上がったが、一方、個々の原画マンの味は出なくなり、原画の個性は希薄になった。
00年以前、一般的なアニメ制作の流れは、原画スタッフがレイアウトに基づいて描いた原画を作画監督がチェックし、動画へまわすというものであった。ちなみにこの「レイアウト」とは「背景の原図」といわれ、最初に描かれたラフな絵コンテをもとに、どの位置に何が来るか、カメラのアングルはどうなのか等、誰が見ても認識を共有できるよう明確に描かれた設計図のことである。
かつてはこうしたレイアウトからスタッフが原画を描き、その後作画監督が修正を加えていたが、2000年前後、レイアウト段階で作監がチェックし修正するようになった。また、かつてはキャラの動きはレイアウトに載せていなかったが、今では載せて作監に直してもらう。
これによって部分ごとのばらつきはなくなったが、その代わり原画マンの味もなくなった。また分業制で担当カットを小分けにされるため、連続した動きをあまり任されず、誰がどこを描いているのかもわからない。
70年~80年代、オープニングはひとりで作画していた。90年代はそれを何人かでやるようになり、現在は1分半のオープニングを、ひとり1カットずつ、何十人単位で分けて作るということをする。せめてオープニングはひとりに担当させることはできないだろうか。
(質問)
原画の個性が希薄になったというが、こうした状況ですぐれた作画が語られるとき、どのような点が評価されるのか。また、すぐれた作画家というものは、現在どのように認識され、世に認知されているのか。
(回答)
現在すぐれた絵を評価する基準として、エフェクト、キャラのうまさ、カメラワーク、といった要素があげられる。
すぐれた作画家に関しては、作画家の個性をみせるのが「許されている」作品というのが稀に出現する。クオリティの安定を望むスポンサーの意向を、抑え込むことのできるスタジオが制作元、というのが、その重要な条件である。
この次、作画で盛り上がるのは、4月から始まる「ワンパンマン」第2期だろう。「モブサイコ100」のデザインをやった亀田祥倫は非常に描写がこまかく上手い作画家だが、この亀田が「ワンパンマン」を手がけている。
絵のうまい人は誰かが見つけてくるものだ。そして、Twitterなどで、これは誰それの作品だ、という情報が拡散する。すぐれた作画家の存在は現在そのようにして認知されていっている。
アニメの歴史を、作画という観点から語っていただきました。
前回の講義では、80年代の作画界に絶大な影響を与えた作画家・金田伊功が登場しましたが、今回、今世紀の初めに起きた制作現場の変化と、その結果引き起こされた作品の変化を聞かせていただき、改めて金田という人が、時代を背負った象徴的な作画家であったということを認識しました。
制作の変化で作り手の個性が希薄になってゆく、それを惜しみながらも和田さんは、次の動向を予見し、面白い作画の出現を予測しておられます。
すぐれたマニアの話を聞くと常に、対象とその人との関わりの切実さ、どうしようもない必然性ということを感ずるのですが、和田さんのお話を聞くたび、アニメでしか見ることのできないものを、アニメでなくてはダメだという人が語っていると感じ、心を揺さぶられます。
業界の諸条件を知り抜きながら、その諸条件を突き破って出てくる作画の生命、作画家の個性に目を凝らし続けてゆくこと、他の何物でもないアニメを、他の何とも取り替えの利かないレベルで見続けてゆくこと、そういう深さに触れて、今回も本当に刺激的な時間を過ごさせていただきました。有難うございます。
アルバイト・池田