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3/30(土) 麻雀に学ぶ 仕事に生かせるやさしい麻雀講座第四回 『麻雀のアヤ(因果関係)と その変り目』の見抜き方

皆さんは強い麻雀を打つ方法と聞いて何を想像するでしょうか。
戦術に基づいた打牌をする、持ち点を減らさないことを心がける、場に飲まれず常に心を平静に保つ、等々。
私はスクール初参加ですが、これまでの報告を読むと、そういった基本的で理性的な麻雀論が講義されていたように思います。

第四回目の今日のテーマは麻雀おけるアヤの存在を意識する事でした。
アヤとは、例えばそれは卓上において運を持った誰かであったり、場に存在する流れであったり、特定の牌が鍵となっていたり、ともすれば麻雀に興味のない人からはオカルトと断じらそうなものです。
多少麻雀をやっている私も、「そういったもの」よりも対戦相手の傾向を分析したり確率に沿って打つほうが効率が良いと考え、実際これまでその通りに麻雀を打ってきました。

しかしあくまでも今回はスクールです。
負けたところで失うものがないので、そのアヤなるものが何であるのか確かめるべく卓につくことにしました。

まずはまっさらな状態からの東風戦、スムーズに手が進みかなり早い段階でイーシャンテン。
とある一つの萬子から面子なりアタマなりを一つ作ればテンパイできるところまで辿りつきました。
しかしそれ以降なんど牌を引いても目当てのものがツモれず、ツモ切りが続いて結果的に上がれないまま流局。

ドラそばでもなんでもなく、手が早かったので警戒されることもないはずが、テンパイにすら持ち込めなかった。
麻雀ではよくあること。黙って手牌を崩そうとしたところ、後ろで観戦していた岩田さんが私に言いました。
「今日のアヤはそれだ」と。

その牌はなんと言うことのない三萬でした。
繰り返しますが、自分の認識では早いイーシャンテンから上がれないといったケースは不思議でもなんでもなく、次局に入れば記憶にも残らないものなのです。
しかしアヤを学びに来ていて、それがアヤであると指摘をいただいた。それならば三萬をアヤとして打ってみようと思いました。

以降、卓上の三萬に意識を配りながらの麻雀が続きました。
三萬を手役に絡ませる、他家の手牌にいる三萬を読む、残りの山の三萬を常に考える。
すると三萬を通じて場が見えるようになったかのように思え、さらには不思議なことに三萬が実際に当たり牌になったり、それなりに自分の大きな役に組み込まれたりするようになってきました。
振込みもせず、上がりもしませんでしたが。

これは私の勝手な想像なのですが、三萬を相手にしているうちに、仮想ドラという言葉がふっと浮かびました。
三萬が常にひっかかるのがアヤであると言えばと、やはり人々はそんなものはオカルトだと断ずるでしょう。
しかし、ドラが常にひっかかるものだという言葉ならどうでしょうか。確率や理性に基づいて打っているつもりの自分でも否定はできません。
恐らく今の自分にとって、三萬の扱いはドラのそれに近しい。
何事も理屈をこねてしまう悪癖があるので、見当はずれかもしれませんが、私はそんなことを考えました。

その後の結末を端的に書きます。
私はオーラス前にようやくリーチまでこぎつけ、次のオーラスでツモあがりに成功。
それら二局とも最後にからんだ牌が三萬だったというのは出来すぎでしょうか。
「アヤがあって次に進めない状況を最終的に覆した。今夜はこれで終局だけれど、東風戦が続いていればまた和了れただろう」
最後に今日の私の麻雀について岩田さんはそう評されました。

補足ですが、冒頭に述べたとおり、麻雀にも武道やスポーツ同様に、対人競技が避けて通れない宿命的な問いが存在しています。
それは、本当の強さとは何か、ということです。
僭越ながら自分もそういった問いを持つものに打ち込んでいたので、その答えには様々なバリエーションがあることを知っています。
強さとは他者より優っていること、常に勝ち続けること、負ける状況では戦わないこと、そもそも戦うべきは自分自身である、といったような答えです。

そしてこの講義でも、本当の麻雀の強さについての言及がありました。
一般的な答えとして、麻雀は元来勝負事なので、とにかく強さを追究し、勝利が絶対的な目標とされるケースが多いそうです。
しかし、一方で違う視点から麻雀の強さを語った人物を岩田さんは紹介されました。

その人物とは、雀鬼会を立ち上げた桜井章一氏です。
自分が勝てば良いという麻雀から離れ、技術の巧拙を問わず、いかに麻雀に集った人々が幸福を感じられるか。
それを象徴する「心温かきは万能なり」という桜井氏の言葉があります。
確かに、個の勝利に固執せずもっと大きなものを志向することは本当に強い人にしかできないことなのかもしれません。

変わり目への対応法であったり、物事のピークを保持することであったり、麻雀は人生に通ずる要素を多くはらんでいます。それは人生が麻雀に通ずるものでもあるからです。
その根底にあるものは、天から配剤された運を活用すること。自分のいる世界と関わり、観察して正しく働きかけること。
つまりは強い麻雀を打つには元となる人生を豊かにしてゆくべきで、やはり「心温かきは万能なり」という言葉がその助けになるのではないかと思いました。


山谷


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