先月末、水木しげる先生お別れの会に参列した。
パネル展や妖怪ポストなどが展開され、とてもあたたかい空間で、鬼太郎や悪魔くんにかこまれながら微笑む先生の遺影を見ていると亡くなった事が嘘のようで。
奥さんや荒俣先生のお別れの言葉がモニターで流れ、それを聞いていてもやはりどこかに水木先生はいるのではないかという気がしてならなかった。
ご挨拶が終わり、帰りに参列者にハガキが配られた。
そこにはいつもの水木サンの言葉が。
なんていうんだろうか、毎日毎日忙しく過ぎ行くだけで好きとか嫌いとかあんまり考えなくなってしまっていたような気がして、妙にじんわりときた。
小さい頃、水木先生に会いたくて講演会かなにかに行って握手してもらった事があり、
全身が熱くなったのは覚えている。
自分が初めて漫画を読んだのが「ゲゲゲの鬼太郎」だった。そこから妖怪にはまり、
墓場鬼太郎や悪魔くん、特に好きだったのがカッパの三平で、カッパを追いかけて岩手の遠野に行ってみたりもしていた。
妖怪大辞典を買ってもらって模写したりとか、自由研究で妖怪の本を作ったりとか、とにかく妖怪が大好きだったのだ。
それでふと思い出したのが「のんのんばあとオレ」のドラマ。1991年、92年とNHKでやっていた。これが大好きでビデオに録って何回も何回も見ていた。
妹とのんのんばあごっこ(ドラマの好きなシーンを再現する遊び)をやって遊んでいた。
これがまた原作の漫画を忠実に再現していて、実写の中に妖怪がアニメで出てきたりと今思えば画期的なドラマだったんじゃないかと思う。
べとべとさんが出てくるところ
べとべとさんのシーン
水木先生の小学4年生のころ、幼少期が描かれている漫画。「のんのんばあ」は水木先生の実家「村木家」でお手伝いをしているばあさんで、妖怪と共に生きてきて常にしげーさん(先生のあだな)を見守って、導いてくれる。
子供と大人、人間と妖怪、悪人と善人の区別をせず、のんのんばあの教えは常にシンプルで、素直なのだ。
この作品で、出会いと別れと死がよく描かれる。自分の力ではどうにもならないこと。
そういうことにぶつかった時、悩んだ時、しげーさんの前には毎回小豆はかりが現れ、相談するも「人間は愚か」「欲深」などとお説教を食らうのだ。
生も死も人間も妖怪も木も虫も「すべてのものが運命に定められた存在」と唱えられ、
お父さんにも、大事な人を失って嘆いているときに「その悲しみは宝物だ」と言われ、
悲しみを少しづつ乗り越えていく。
水木先生の自伝はどこを読んでも面白いのだが、この作品にたくさん込められている大人の愛情というか、とてもおおらかでそういうものが溢れていてなんとなくせつないのだと思う。
(中野店/田路)
水木しげるの作品はこちらから。
中野店 田路
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