今年は少年チャンピオンが40周年記念ということで、歴代のチャンピオンのヒットメーカーたちが過去の名作の新作を書きおろす・・・という企画が継続してのっているまっ最中です。
そうは言っても最近あまり作品を発表していない方もいますし、当時は新鮮だったもののいまは全然なんだか分からない・・・というものもあり、複雑な気分になるものも少なからずありました。
ジョージ秋山の曲がらなさ、20年前と変わらない線が描ける山上たつひこは別格としても、線が震えてた某先生や、当時読んでた自分から見ても時代と乖離しすぎてて切なくなった「すくらっぷぶっく」、そしてもはやギャグなのかすら分からなかった「らんぽう」と、この作品群はなかなかにスリリングです。
そこに行くと現役バリバリの水島新司と立原あゆみの2本立てだった今号は不安要素一切なしで安心して読めました。
立原先生のほうは低迷期のチャンピオンを支えた人気作「本気!」の裏舞台ネタですが、楠みちはる先生とともに「男でポエムが似合う2大作家」だけあり、さすがの出来栄えでした。
次郎が「破門届」を「破問届」と誤字したことをネタに白銀本気が次郎をいずれ救うつもりだったはずが、担当が訂正してしまったために展開が大幅に変わったりなんてエピソードが初公開されたりしてたほか、見所は手塚先生の思い出です。
立原先生の仕事場に担当が急いでやってきて「手塚先生が急病で倒れたので代わりに描いて欲しい」という。それも新連載で。
金曜日発売の雑誌の締め切りは通常、その前の週の木曜日。それが、同週の火曜日までに間に合えばいいといわれて立原先生は驚く。
「できます なんたって神様のSOSです 印刷所だって動きます」
さすが大手塚、立原先生と手塚先生がチャンピオンで連載してたのってもう「ミッドナイト」のころとかでそんなにチャンピオンの中で影響力があったわけじゃないと思うんですが、急病で倒れたとあったら突然わずか数日でカタチだけでも新連載13Pを描かないとどうにもならないような状況になるわけです。そんな立原先生でも、面識というほどのものはなく、たった一度声をかけられただけとのこと。
とあるパーティにおいて、周囲のお偉いさんに向かって

「立原っていいね紹介してくれないか」。
手塚先生を表現するのに魔人ガロン、って初めて見たなあ。


たしかに少女マンガが主戦場であの絵で「立原あゆみ」と聞けば、誰だって女性作家だと思うはず。
のちになって立原あゆみは「神はかわいい女の子想像してたのかもな 神だって漫画はなれりゃ男だろ あわよくばなんてさ」つまり手塚先生がコナかけようとしてたんじゃねえか、ってオチです。いやあ、ここで単なる感動話で終わらせないでこういう方向に持っていくのが立原先生らしいですねえ。
でも最後のコマで

「立原の疲めたる誇りは神の替原が描けたこと」「それは少年時代の憧れがつながったという喜びです」と立原ポエム満開でしかも余韻を残す終わりかた。これぞ立原ワールド。いいですね。
一方、同世代作家でキャリアも長い魔夜峰央先生も、奇しくも近作で手塚先生の思い出に触れていましたが、こちらも人間臭いエピソード。

これだけ漫画家がいても、じつは手塚先生に話し掛けられたり握手したことがあるマンガ家はもうほとんどいない・・・という話から、とある縁で手塚先生に紹介されたときへ。

大緊張する若手の魔夜氏のことを、手塚先生とも親しい鈴木光明氏が「彼の描く漫画は面白いですよ」と紹介するや否や

「ふうん?」といってにらみつけたというのです。手塚先生が若い才人が現れるとものすごくシットする、という話は今までも多くありましたが、たしかに若手から見たら雲の上の人であり、功成り名を遂げた大先生なわけで、デビューしてそこそこの魔夜先生にまでライバル心をもつなどなかなか理解できないところです。しかし魔夜先生はこの強烈なライバル心が天才の原動力なんだなと感じた、と。
ただ二人の印象がどう違うかといえば、立原先生は作中ずっと「神」と言い切ったのですが、魔夜先生は「漫画の神様 手塚○皇」「雲の上の大元帥」と、あくまで人間として触れていること。少年のころの憧れが物語りの根底に常に見え隠れする立原先生の作風と、パタリロに代表されるリアリスト的な発想が持ち味の魔夜先生ではそれぞれが手塚先生を大天才として認めてはいても印象はおおきく違うんだなあと思ったりもしますね。
そうは言っても最近あまり作品を発表していない方もいますし、当時は新鮮だったもののいまは全然なんだか分からない・・・というものもあり、複雑な気分になるものも少なからずありました。
ジョージ秋山の曲がらなさ、20年前と変わらない線が描ける山上たつひこは別格としても、線が震えてた某先生や、当時読んでた自分から見ても時代と乖離しすぎてて切なくなった「すくらっぷぶっく」、そしてもはやギャグなのかすら分からなかった「らんぽう」と、この作品群はなかなかにスリリングです。
そこに行くと現役バリバリの水島新司と立原あゆみの2本立てだった今号は不安要素一切なしで安心して読めました。
立原先生のほうは低迷期のチャンピオンを支えた人気作「本気!」の裏舞台ネタですが、楠みちはる先生とともに「男でポエムが似合う2大作家」だけあり、さすがの出来栄えでした。
次郎が「破門届」を「破問届」と誤字したことをネタに白銀本気が次郎をいずれ救うつもりだったはずが、担当が訂正してしまったために展開が大幅に変わったりなんてエピソードが初公開されたりしてたほか、見所は手塚先生の思い出です。
立原先生の仕事場に担当が急いでやってきて「手塚先生が急病で倒れたので代わりに描いて欲しい」という。それも新連載で。

金曜日発売の雑誌の締め切りは通常、その前の週の木曜日。それが、同週の火曜日までに間に合えばいいといわれて立原先生は驚く。

「できます なんたって神様のSOSです 印刷所だって動きます」
さすが大手塚、立原先生と手塚先生がチャンピオンで連載してたのってもう「ミッドナイト」のころとかでそんなにチャンピオンの中で影響力があったわけじゃないと思うんですが、急病で倒れたとあったら突然わずか数日でカタチだけでも新連載13Pを描かないとどうにもならないような状況になるわけです。そんな立原先生でも、面識というほどのものはなく、たった一度声をかけられただけとのこと。
とあるパーティにおいて、周囲のお偉いさんに向かって

「立原っていいね紹介してくれないか」。

手塚先生を表現するのに魔人ガロン、って初めて見たなあ。


たしかに少女マンガが主戦場であの絵で「立原あゆみ」と聞けば、誰だって女性作家だと思うはず。
のちになって立原あゆみは「神はかわいい女の子想像してたのかもな 神だって漫画はなれりゃ男だろ あわよくばなんてさ」つまり手塚先生がコナかけようとしてたんじゃねえか、ってオチです。いやあ、ここで単なる感動話で終わらせないでこういう方向に持っていくのが立原先生らしいですねえ。
でも最後のコマで

「立原の疲めたる誇りは神の替原が描けたこと」「それは少年時代の憧れがつながったという喜びです」と立原ポエム満開でしかも余韻を残す終わりかた。これぞ立原ワールド。いいですね。
一方、同世代作家でキャリアも長い魔夜峰央先生も、奇しくも近作で手塚先生の思い出に触れていましたが、こちらも人間臭いエピソード。

これだけ漫画家がいても、じつは手塚先生に話し掛けられたり握手したことがあるマンガ家はもうほとんどいない・・・という話から、とある縁で手塚先生に紹介されたときへ。

大緊張する若手の魔夜氏のことを、手塚先生とも親しい鈴木光明氏が「彼の描く漫画は面白いですよ」と紹介するや否や

「ふうん?」といってにらみつけたというのです。手塚先生が若い才人が現れるとものすごくシットする、という話は今までも多くありましたが、たしかに若手から見たら雲の上の人であり、功成り名を遂げた大先生なわけで、デビューしてそこそこの魔夜先生にまでライバル心をもつなどなかなか理解できないところです。しかし魔夜先生はこの強烈なライバル心が天才の原動力なんだなと感じた、と。
ただ二人の印象がどう違うかといえば、立原先生は作中ずっと「神」と言い切ったのですが、魔夜先生は「漫画の神様 手塚○皇」「雲の上の大元帥」と、あくまで人間として触れていること。少年のころの憧れが物語りの根底に常に見え隠れする立原先生の作風と、パタリロに代表されるリアリスト的な発想が持ち味の魔夜先生ではそれぞれが手塚先生を大天才として認めてはいても印象はおおきく違うんだなあと思ったりもしますね。
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