個別の食材を掘り下げるのではなく、レシピの公開がメインである「クッキングパパ」は、なにかのエピソード→それなら・・・と荒岩が料理を作る→おお、これこれ!で大団円・・・というパターンが大半で、とどのつまり「これこれ」の部分さえあってれば、どんな食べ物でも1話出来てしまうのが強みです。
たとえ前号では、ちくわの磯辺揚げで一話。ギャグマンガだったら、ストーリーマンガだったら、やっぱりこのページ数を埋めるのは大変だと思うのですが、今回もまたどうでもいいようなストーリーにからめて、ちくわの磯辺揚げだけで一話成り立ってしまうのだからすごいですね。
だってちくわの磯辺揚げですよ? のり弁当に入ってるメインディッシュだけどさ、でも磯辺揚げで1話はないだろうと。
その一話も「同窓会で友の死を知る、そういえばアイツ、ちくわの磯辺揚げ好きだったなー」という、ちくわでなくとも全然成り立つストーリーです。
冷蔵庫を開けると、ちくわばっかり。「なんだーちくわばっかりじゃねーか!」「ちくわが好きでね」。まあそりゃそうだろ、というアタリマエのやり取りもポイント高いですね。そんなダメなポイントを溜めていっても、それが何かに交換できんのかといわれても困りますが。
今回はうえやま表現のポイント、というか、詰めていうと僕の好きな表現を紹介します。
この春先のブロッコリみたいな、70年代アニメの妖精系お姉ちゃんが何かというと、荒岩が勤める会社の若手の女性社員で、まあお嬢様キャラというかアイドル的な存在。この髪型、この目、この造形、この存在感! うえやま先生が「これがいまのお嬢様バイッ!」とキメ打ちしてるのはわかるのですが、そうとうにありえないことになっています。弘兼先生の若者キャラいまっぽくないよねという人は、まずうえやま先生がその先なのか後なのか、どうなってんのかを考えないといけません。
二コマ目、おっさんがいきなり黒くなってますが、この黒くなってるのか「これから回想シーンだからネ」という合図です。
もう一回そのコマだけ抽出しますが、これで回想シーン導入の合図ですよ。
いや、フツウでしょ、なにがおかしいのと返されるとうまく言葉では返せません。しかし、・・・でもしかし、やっぱりなにかおかしいこのモヤモヤした感じ。この黒くなり方はないだろう、ってんでもないし、これで回想ってことないだろう!っというのでも違うし・・・言語化できないモヤモヤした感じが伝わりましたでしょうか?
最後、悪友と酒を飲み、ちくわをたべ、盛り上がるコマ。
この「たらん」というのは何の擬音なのでしょうか?
野球マンガの「ワーワー」はじめの一歩における画面全体には描かれないパンチ音のように、マンガを読む人がすべての擬音に目を通しているとは限らないわけで、現に実際僕もこの擬音には初読時には気がつかなかったくらいです。だがしかしなにが「たらん」なんでしょう?全然わからないです。
最初は「(食い)足らん」かなと思ったんだけれど、違いますよねこれ。足らんだったら吹き出しにして「足らん!」って書くよフツウ。
ですが、クッキングパパは前述のストーリーと同じく、あまりにも様式美、形式が整いすぎていていまさら突っ込めない雰囲気すらあります。でもやっぱりおかしいですよ。そしてそのどうにもズレてるところがクッパパの味であり見所なんですよね。ズレてないとクッパパではないのです。
食べ物マンガって、連載長いからか作中キャラクターが既に雑誌の住人になりつつあることがワリにありますが、クッパパの住民度は著しく高いです。住民度が高いほど、あえては突っ込めない。僕らだっていままでずっとスルーしてた同じ会社の長い付き合いの人に、「そのもみあげヘンだよね」とはいえないじゃないですか。あれだけヘンなのに、改めてヘンだといまさらはいわれない境地っていうのもすごいのかもしれません。
中野店 岩井