ショーケースを見ていて、あれっと思いました。表紙が西田ひかる。なんだか古いヤンマガがあるなと。
調べてみてああと思い当たりました。「ゴリラーマン」の単行本未収録の回が収録されているヤンマガです。
単行本未収録、というだけであれば、かなり多くの作品の、かなりの数があるわけで、そんなに珍しくはありません。世の中には「連載をしていようと、単行本になるかどうかは分からない」雑誌だって少なくありません。そして「単行本が出たとしても、1巻の売れ行きが悪かったら2巻が発行されない」雑誌だって少なくありません。
少年誌だって、秋田書店なんかがそうです。さすがに最近は露骨にそういうのはやらなくなったみたいですが。しかし、そもそもにおいて「打ち切りになる」マンガは単行本が出ても売れないことも分かってるわけで、即・打ち切りになった作品まで律儀に単行本にしてあげる大手の少年・青年誌がおかしいのかもしれません。
この流れで、単行本になったときに抜粋編集されてしまい、全話収録されない場合・・・というのがあります。単行本で○冊にまとめたい、と。これはけっこう頻繁に行われていて、あの手塚先生だって末期の「ミッドナイト」とか、単行本に全話なんて、ぜんぜん収録されてません。
僕らが気になるのは、こういった「出版社が都合によって全話を収録しなかった場合」と、もうひとつ。「なんらかの理由があって収録が見合わせられた」「作者が収録しない方がいいと考えたエピソードがある」といったパターンです。
そういった意味だとこのハロルド作石さんはけっこうな未収録常習犯ともいえます。デビュー作の「ゴリラーマン」のみならず、次作の「サバンナのハイエナ」に至っては作品自体が封印されてて単行本にもなってません。3作目「バカイチ」も全話のうち3割程度までもが未収録。バカイチの例で考えると、本人に収録すべきかどうかの強いこだわりがあるようにも感じます。
今回の「ゴリラ-マン」の収録が見合わせられたのは作者の意図があってのものだろうと思います。ゴリラーマンの親友ともいえる藤本の母親が自殺してしまう回だからです。
藤本が真柴高(マシコー)と抗争したとき、舘井に蹴られて入院。見舞いに現れた藤本軍団を「なんですかあなたたちは」といって追い返すシーンでチラっとだけ登場した藤本の母親ですが、このシーンでは親友の大怪我を見舞おうとして現れた友人が素行不良だからといってあわせない、体裁家で教育ママのように描かれていましたね。
そんな母親が単行本にして13巻前後の後半でいきなり自殺します。具体的な姿や動機は描かれません。Wikiにあるように「母親はストーリー中、彼の素行不良からノイローゼになり自殺する」というのは物語中にはどこにも触れられていません。
淡々とラストに、母親の死が自殺だったこと、それが飛び降り自殺だったことが明かされます。そしてその視についてもドライに描かれており、胸がきゅっと締め付けられるような印象です。といっても涙が出るとかそういうのではありません。仲間とのつながりと肉親の死が不思議な対比で描かれています。非常に強い家族愛がある池戸家と、父も母もキライな藤本の対比でもあります。
僕はゴリラーマンに思い入れがあり大好きな作品ですが、結果としてこの話を収録しなかったハロルド作石の判断が正しかったかどうかは難しいところです。この話の乾き方は、ゴリラーマンの中にある明るさの背後にある深い暗さと寂しさを象徴してるとも感じるからです。さっきはWikiをけなしましたが、「表面上はギャグ作品としての要素が強い一方、内面は暗く渇いているのが特徴」というWikiの評はいいえて妙だと感じずにはいられません。
この話を収録しない判断も正しいといえるのですが、ただ、この話を読んでいたほうが、圧倒的に深く好きになれるのは間違いないと思います。
いま本店2に出しています。ネット上でもこの話はストーリー紹介だけでまったく画像がなかったと思うので、すこしだけ出しておきましたが、どうでしょうか。
たった1話で1575円。それが高いかどうかは人それぞれだと思いますが、それが単行本未収録の世界の味わいでもあります。気になった方は是非。
中野店 岩井