はじめまして。
初めての社会人・一人暮らし・東京暮らしというトリプルパンチにより去る3月の新卒社員歓迎会では号泣し、ホームシックになっては泣き、そのことを先輩や同期にネタにされ、借りてきた映画のDVDを観ては泣き、漫画や小説を読んでは泣き、なんで新宿の映画館って平日の真っ昼間なのにこんな混んでんだよと文句を垂れながら観に行った「シン・ゴジラ」を観てあまりの面白さに感動して泣き、先日観に行った「君の名は。」では23歳の野郎が一人で恋愛映画を観ながら号泣するという大変見苦しい絵面が展開され、先輩には「お前いつも泣いてんな」と言われる中野店コミックスタッフ・斧です。しょうがないじゃない、いい作品だったんだから・・・。ちなみにシンゴジは5回観ました。「君の名は。」もまた観に行きます。
そんな調子で徐々にではあるものの日々移り変わる新しい状況に次第に慣れ、そういえば学生時代の友人たちは元気かなあとツイッターやFacebookを覗いては相変わらずのバカっぷり(いい意味で)に思わずクスっと笑いを漏らしてしまう、そんなあなたにオススメしたいのがこの作品。
『ルー=ガルー 忌避すべき狼』
京極夏彦(原作)・樋口彰彦(作画) 徳間書店(旧版) 講談社(完全版)
書く小説のあまりの分厚さから「鈍器」「人を殺せる厚さ」と称される小説家・京極夏彦先生のSF×サスペンス×百合小説を漫画家・樋口彰彦先生がスタイリッシュにコミカライズした作品です。
舞台は少なくとも2050年代以降の日本。「パイドパイパー」と呼ばれる歴史的なパンデミックにより世界人口は激減。その復興を契機にパラダイムシフトした近未来で、人々は人権保護の名のもとネットワークによる徹底した管理を受けています。端末(モニタ)が支給され、自分の行動が逐一記録される世界。パンデミック時には家畜などの食物が汚染源だったために災害が終息した後もその摂食は規制され、食卓に並ぶのは人工的に合成された合成食品。
そんな世界で学校(センター)に通うメインキャラである14歳の少女たち。疑問も持たずに管理教育を受ける彼女たちの世界には本来なら何の危険も無いはずでした。その周辺でバラバラ連続殺人が起きるまでは。
事件に否応なしに巻き込まれ、彼女たちは次第に過酷な現実をみせつけられることになります。
・ 「友情」を理解できないこどもたち
パンデミックの記憶や情報化された管理社会により、作中世界では極端な個人主義がスタンダード。コミュニケーションはネット主体で、人々は直に会って会話を行うリアルコミュニケーションやリアルコンタクトを避ける傾向にあります。その世界にあってはそもそも「友情」「友達」という概念が廃れていて、学校内でよく一緒にいる主人公達には異質なものを見るような視線がむけられます。
牧野葉月(まきの はづき)は内気な少女で、他人と接触したり精神が不安定になると鼻血が出てしまうという「接触型コミュニケーション障害」を持っています。興奮すると鼻血が出る。ここがポイントです(何のだ)。実は鼻血設定は原作にはない改変部分。これによってキャラクターの心の機微が判りやすくなった良改変だと思います。彼女がどういう場面で鼻血を出すか、それに対する周囲の反応はどう変わって行くかに注目すると面白いかもしれません。
ウイルス災害の名残で血や他者との接触が避けられる世界ですから、彼女自身も他人からは避けられがち。本人も自分の体質が大っ嫌い。でも同じクラスに血を嫌がらない神埜 歩未(こうのあゆみ)という女の子がいて、そのコのことがなんとなく気になる。
歩未は自身の匂いを嗅いで「獣の匂いがする」とつぶやいたり、どこか動物っぽい雰囲気の少女。ちなみに僕っ娘。
その二人にたびたびちょっかいをかける慌ただしい性格の都築 美緒(つづき みお)は、14歳で大学のカリキュラムに進んでいる天才・・・でもバカ。ハマった「火を吹くカメが出てくる20世紀のムービー」に影響されてプラズマ砲をつくったり、警察の機密情報にハッキングしたりといろいろと危なっかしい。
彼女達はいつもなんとなく一緒にいて、そうでありながらなぜそうするのか、自分たちの関係は一体なんなのかが理解できないわけです。現代日本で生きる僕たちは「それって友達っていうんじゃね?」と言えるんですが、本人達にはそれがわからない。ああ、もどかしい!
「なぜか」一緒にいることが多い3人。
そんな日常に唐突に訪れる殺人事件。暴漢に襲われるクラスメイトの矢部 祐子(やべ ゆうこ)を救ったことをきっかけに、彼女達の関係が変わっていく。美緒の幼なじみの中国拳法少女・麗猫(レイミャオ)。
ゴスロリ占い少女・作倉 雛子(さくら ひなこ)。
関西弁の転校生・来生 律子(きすぎ りつこ)。
ほとんど関わりのなかった・あるいは離れていた少女達が、理解できないはずの友情パワーで結束し、大冒険が始まります。「みんなを守らなきゃ」そんな思いに突き動かされ、巨大でリアルな世界と対峙することになります。
・ 「生きる」ということ
上記のとおり、作中では人間は合成食品を食べて生きています。それは草も動物も食べない=いきものを殺さなくなり、食物連鎖から外れたということ。そのことに対し美緒はこんなことをつぶやく。
常にモニタの中でネットワークに繋がり、口にするものは生き物の形をした偽物。彼女達にとっては画面越しに見る世界こそが「リアル」であり、現実の世界は嘘くさく見えてしまう。それこそどこか生きている実感が湧かなくなってしまうくらいに。
だからこそ殺人事件に巻き込まれ、結果として親しくしていたクラスメイトの一人が命を落としたという事実は、圧倒的なリアリティをもって葉月たちに現実を突きつけます。人はいつか必ず死ぬということ。どうにもならないことがあるということ。現実=リアルは痛くて、こわい。
それでもやがて、少女達は事件を終わらせるためにそんな現実=リアルに立ち向かいます。みんなを守るために、再び。今度は自分たちの命を賭けて。そして生きるか殺されるか、そういう状況に放り込まれてようやく生きていることを実感するのです。
後半の怒濤の展開のなかで彼女達はどんどん危険な状況に踏み込んで行きますが、言うまでもなくそれは決して死のうとしている訳ではありません。ただ純粋に生きるために生きようとする、「友達」を助けようとするひたむきな行為であり、それゆえ僕は読み返すたびに心を打たれてしまうのです。
・ サスペンス×百合×少年漫画としての魅力
この作品では少女たちの物語と平行し、シブい不潔な中年刑事・橡 兜次(くぬぎ とうじ)と潔癖性のカウンセラー・不破 静枝(ふわ しずえ)のコンビによる捜査パートが進行します。
正反対の性格の2人が猟奇殺人の捜査を通して最初は反発しながらも次第に認め合い、真相にたどり着く。王道です。デビッド・フィンチャー監督の「セブン」のようですね。あれは鬱だ鬱だ言われるけど最後のモーガン・フリーマンの台詞で決してバッドエンドではないということが判る良い映画だと思うんですがどうでしょう(全然関係のない脱線)。
捜査が進むうちに事件の隠蔽・情報の改ざんが明らかになり、黒幕の存在が明かされ、裏切られ、気付けば周りは敵だらけ・・・という展開は非常にスリリング。真犯人の動機に合成食品との関係が示唆され、事件の真相と2人の過去の因縁が収束していく終盤のシーンのやるせなさはかなりクるものがあります。
なんというか無駄な設定がないんですよ。さすが京極夏彦先生。そして彼の分厚い小説を漫画としてさらに読みやすくブラッシュアップした樋口彰彦先生の手腕に脱帽。
そして百合。
つまりガールズラブ。
ウーマンス!
はい、実はこの作品、僕を百合好きにした大変に罪深い漫画でもあるのです(どうでもいい情報)。上にも書いた理由から主人公の葉月は歩未に惹かれていて、歩未もそれを拒まない。はっきりと「好き」と伝えたわけではないし、相手が何を考えているかなんてわからない。でも互いが互いを本当に大切に思っていることは何となく察せられる。おお、このプラトニックな関係よ。
美緒とその幼なじみの麗猫の関係もまた大変よろしいのですよ。昔は仲が良かったけど大人達の都合で疎遠になって、数年後に再会したときにそっけない態度をとるけど実は互いのことをずっと思っていて、みたいな。
あーもう、もう!!
事件が起きるまでの彼女たちにとって他人との繋がりとは、ネットを常に介したもの、情報ネットワークとの繋がりそのものでした。それが事件を通すことでリアルな対人関係へとシフトしていき、親密になっていく様子が繊細で丁寧に描かれます。そういう描写の積み重ねがあるからこそ、彼女たちの一人が殺されたときの喪失感や悲しみが読者にも伝わるし、ついに「敵」に反撃を開始したときのカタルシスが半端ないのです。
仲間のために。ともだちのために。巨悪に立ち向かいアジトに乗り込んで陰謀も欺瞞も全部ぶっ壊す。なにか熱い感情に突き動かされて。まさに王道です。少年漫画です。爽快で、アツい。
仲間のピンチに駆けつける天才バカの美緒。こんなんワクワクしないわけないじゃないですか!
・ 「狼」
ただそんなクライマックスの少年漫画的展開のさなか、葉月たちととある少女との間に、決定的な断絶があることがわかってしまう。どうにもできない壁。そして別れ。
この物語は全体的に赤ずきんがモチーフになっていて、劇中には「狼」という単語が何回か登場します。タイトルも『ルー=ガルー』、つまり人狼・人食い狼。それが誰のことを指しているのかは作中で何度も、露骨なくらいに示唆されます。それでもそれがはっきりと判明するシーンは怖いと同時にとても哀しくて。
ああ、このコはどこか根本的なところで葉月たちとは違っていたんだ、ということがわかる場面。でも同時に葉月たちのことを本当に大切に思っていて、だこそ彼女達から離れようとするのだということも同時にわかるシーンで、これが切ない。
そしてかすかな痛みを残したまま事件は終わり、狼少女も葉月たちの前から姿を消します。
・・・・・・が、このままでは終わりません。
「このまんまじゃ終われねえよなぁ」
いきなりいなくなった狼少女のことを、葉月たちは放っておいてくれません。
仲間だから。ともだちだから。壁があるならぶっ壊せば良い。君のことなんか全然怖くないし、嫌だと言っても側にいてやる。もう、こいつらマジで好き。
そして迎える大団円。原作小説もコミック版も、最後はこの文章で締められます。
「昔、狼というけだものがいたそうだ。でも狼は絶滅した。そういうことになっている。」
原作だと「狼」が葉月たちから離れて終わってしまうんですよね。だから心がひりひりするような、少し痛みを残す読後感。対してコミック版だと最終話でその後が描かれて、同じ文章で終わってるのに印象が180度違っていて、それがなんだかうれしくて、なんかもう、本当に好きです。いままで出会った「最終回」の中で一番好きかもしれません。俺はこの漫画が好きだ!!
さて、ここまで読んで下さった皆様、こんな長文・駄文につき合ってくださりありがとうございました。今回のブログを書くにあたって久しぶりにこの作品を読み返したのですが、原作・コミック版問わずやっぱこれ大好きだなあと再確認しました。友達に会いたくなりますなあ。
SF好きにも、百合好きにも、サスペンスが好きな方にも、はたまた王道なストーリーが好きな方にも。自身を持っておすすめできる、間違いなく傑作です。旧版なら前5巻、完全版なら全3巻と手頃ですし、どうでしょう。蝉の声も少なくなり、夏から次の季節に移り変わりつつある今日この頃。秋の読書用にお買い求めになられてみては?
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(担当・斧)
中野店 斧