終末にて;少女終末旅行 ハーモニー

はいどうも斧でございます。ブレードランナー2049は最高でしたね。「お前は奇跡をみたことがない」とか「愛しているなら他人でいる方がいい」とか、なんだかいつまでも心に残る台詞が多かったですね。冒頭のカリフォルニアの場面とかデッカードが登場するラスベガスのシークエンスとか無限に観ていたいしもうこんな映画観れたからいつ死んでもいいやって気分になりました。まだスターウォーズが完結してないので死ぬわけにはいかないんですけどね。

最近は「少女終末旅行」にハマって原作を一気読みしました。あれはねえ、アレですよね、ものすごく可愛くて明るいOPと本編の虚無感全開のギャップで視聴者を叩き落とす感じがものすごく好きなんですね。ていうかマジでしんどい時に原作一気読みしたら死にたくなるやつですねアレは。

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少女終末旅行 つくみず著 既刊5巻 新潮社

なんか遠い未来で、人間は戦争やめられなくて、BLAME!みたいなでっかい階層都市が延々と続いてて、というか多分あの世界の地球がどうしようもないレベルで終わってしまっていて、チトとユーリのメインの2人以外は全然人間が登場しなくて、たまに他のキャラが出て来ても少しの間行動をともにしたらあっさりと別れて、そのあとは二度と再会しないだろうなっていうことを多分お互いに分かりきってる感じがもうすごい虚無だなあと思います。

チョコレートが何なのか分かんなかったり、がらんどうの部屋で家具のある光景を想像したり、たまたま見つけたビールを飲んで酔っぱらって「いつか月に行こう」と約束したり。2人にとってはいつも通りの日常なんだけれど、その全部にどこか虚しさが漂っていて、なんだかどうしようもなく悲しくなって泣いてしまいました。多分この2人はいつか死ぬってことをなんとなく悟っているんでしょう。何もかも終わってて拠り所がないと生きていけない状況で、お互いを支えにして生きている2人の姿はどこかギリギリなんだろうなあと言う風にも感じます。「死ぬのが怖くて生きられるかよ」と、普段は脳天気なようにみえて核心をついたような台詞をたまに吐くユーリにもギョッとします。

2人は地図を作りながら一人で旅をするカナザワという人物からカメラを譲り受け、その後はことあるごとに変な石像やら、街やら、自分たちのことを撮っていくんですが、あるときそのカメラ内のメモリーデータをたまたま見つけて、遠い過去の映像や、実はカナザワと一緒に旅をしていた人がいたことを知るシーンがあります。その後に今の地球の状況や石像の正体を知り、とある理由でそのカメラも無くなってしまい、「神様」が何だったのかがわかるという(この作品にしては)怒濤の展開があるんですが、そのなかでもやはり終始物悲しさや虚しさが満ちていて、その中でチトとユーリがお互いの手を強く握る場面が印象的です。

劇中の世界ではきっと切実に、生きるために生きていくしか無いんでしょう。尊いですね。生きるのは大事なことなんだろうなあと思います。

とまあこんな感じで何気なく手に取った・観てみた作品が思いのほか琴線に触れて、「自分の探してたものはコレだ」と思うことは往々にしてあることなんですが、今回は(ある意味で)終末繋がりの「ハーモニー」の感想も書いておこうとおもいます。いやそういえば書く書く言っておきながら全然ブログでやってなかったのを思い出しただけなんですけどね。うんもうすっかり忘れてた。

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ハーモニー 伊藤計劃著 早川書房

「虐殺器官」でデビューした伊藤計劃氏は、オリジナル長編2作目の本作で日本SF大賞とフィリップ・K・ディック賞特別賞を受賞していますが、本人はそれを知ること無く癌で逝去。僕が学生のときに本書を手に取ったときにはもう亡くなられていました。

舞台的には多分「虐殺器官」の数十年後で、とある理由で世界中で紛争・虐殺が起き、その最中に使われた核兵器の放射性物質の影響で突然変異したウィルスでパンデミックが起きるという大災禍と呼ばれる世界的な混乱を経たあとの世界。

行政の単位は政府から生府と呼ばれるものへシフトし、共同体の構成員は貴重な「公共的リソース」であるという考えから、その健康の維持を何よりも優先するという社会になっている。そのために使われているのがWatchMeと呼ばれる、メディモルというナノマシンを用いた体内監視システムだったりする。このシステムによって生府の人々は常に自身の身体の状況をモニターされて、その様子が常に拡張現実で視界に表示され、加えてそれに対する共同体からの評価や個人情報、健康・精神状態が他人に対してもオープンな情報として公開されているわけで。要するに「推奨される摂取カロリーが許容を超えています」とか「今ストレスを感じているようなので何時間以内にこちらのセラピーを受診してください」とか「あの人の社会的評価はこれくらいでその理由は体調管理が上手く出来てないからなので皆さんでサポートしてあげましょう」とか、そういうことが常に視界に表示されている高度医療社会。

なので餓えも病気もほぼ根絶されていて、そこはタイトル通りに調和がとれたユートピアなのだけれど、作中で「真綿で首を絞めるような」と表現されている通りどこか息苦しい社会みたいだ。というのも、自分や他人の健康状態やそれに付随する社会的評価が常に公開されているというのは、それだけ自分の健康に気を配り、他人を思いやり労ら「なければならない」世界だから。それにストレスを感じてもそもそもストレスを感じるのが間違っているという考えのもとで感情を抑えてい「なければならず」、加えて「公共的リソース」という考え方もくせ者で、これは実は人を徹底的に物質的な資源つまりはモノ扱いをしているということだったりするわけで。

こうしてみると一見して優しさと思いやりにあふれているユートピアは実はかなり危ういバランスで成り立っていたということがわかってくる。

そういう世界に対して疑問とか反感を持ったのが、主人公のトァンと、友達のミァハ、キァンの3人の少女。伊藤計劃氏言うところの女版タイラー・ダーデンであるミァハは「ただの人間には興味ありません」とハルヒパロディの台詞を言い放ち、生府社会を憎悪し、その博識さや聡明さでもってたちまちトァンとキァンを虜にし、感化された2人はミァハとともに「社会への反抗」として自殺を試みるのだけれど。

結局、ミァハだけが死に、キァンと共に生き残ってしまったトァンは「自殺したくらいじゃ世界はどうにもならない」と悟る。それでもミァハが忘れられずに彼女と同じように振る舞おうとするけど、やはり生府社会を許容できずにWHOの螺旋監察官となって世界中の戦場や紛争地帯へ行き、体内監視システムを騙して酒や煙草で身体を傷つけるというささやかな反抗と自由を得る道を選ぶ(作中の生府では飲酒・喫煙がアウトでコーヒーによるカフェイン摂取も「破廉恥」なのであまり推奨されず)。一方でもう一人の生き残りのキァンは、ミァハの死をきっかけに社会に順応していくけど、トァンはそれを快く思ってはいない。

お話は、トァンの飲酒と喫煙がバレて日本に強制送還されてキァンと再会するところから本格的にスタート。キァンがミァハの死について胸の内を明かし、それに対してトァンが心を開いた瞬間、「うん、ごめんねミァハ」という言葉を発してキァンは唐突に食事に使っていたテーブルナイフを首に突き刺して死ぬ。

そのとき、同じ時間に世界中で6582人がいろんな方法で自殺を図り、2796人が死ぬという事件が起きる。

社会が混乱するなか、事件の実行犯という人物が現れる。そして「宣言」。

「これから1週間以内に、誰か一人以上を殺してください。」

(文庫版204ページ)

   そうして、キアンが死ぬ直前に言った言葉を手がかりに、死んだはずのミァハの影を追うトァンの旅が始まる。

  伊藤計劃氏の小説はどこかもの悲しさに覆われている気がする。それはきっと、メインキャラクターの行動原理が誰かの死だからなのかもしれない。「虐殺器官」のクラヴィスは常に母親の死に悩み、「ハーモニー」のトァンは子供時代に憧れたクラスメイトの死から逃げるように紛争地帯に身を置くことになる。もっとも、トァンの場合はキアンの死をきっかけに、少女時代のことやキアンの死に対して逃げずに何かしらの決着をつけるということに次第にシフトしていくのだけれど。

 キアンの死を解明しようと捜査を続ける中でトァンは、ミァハが戦災孤児であったことや、自分を捨てた父親が行っていた「意識」に関する研究が事件に関わっているかもしれないことを知る。そんな中で思い出すのは、学生時代の自分とミァハ、キアンの3人の日常だったり思い出であったりして、物語が進むにつれてそれは徐徐に走馬灯のような色を帯びてくる。その良き思い出のなかで得意げに知識を披露したり、口いっぱいにご飯を頬張ったりしながら社会を転覆させる方法を熱っぽく話すミァハは、カリスマ性がありながらもどうしようもなく子供っぽくて俗っぽくてどこまでいってもやっぱり普通の女の子にみえるのだけれど、それが話が進むうちにどんどん得体のしれないものに見えてくる。でもその得体の知れないものに見えてしまうというところに、ミァハというキャラクターの悲しさがある。

 トァンはミァハが自分と出会う以前にどんな過去を送ったのかを知り、「意識」というもののあり方を知り、人間が持つ「意識」、というかミァハについて考えるようになる。

 「虐殺器官」では、人間が後天的に獲得したはずの言葉によって意識が規定されてしまうということが描かれたけれど、「ハーモニー」ではじゃあその言葉なんかで左右されちゃう意識ってなんなの、ということが描かれる。それは、「そのときたまたま進化上生き残るのに有利だったから獲得した形質の一つで、もはや必要なものでもなんでもない」というかなり突き放したもので、「わたし」という存在は魂とかそういう崇高なものでは全然なくて肉体に付いてるおまけなんだということらしい。

 余談だけど伊藤計劃氏曰くこれは敗北宣言みたいなものらしくて、その先を書こうとしたけど書けずに終わってしまったということみたいだ。彼の「その先」がもう読めないというのはとても悲しいけれど、友人の円城塔氏が「屍者の帝国」で「意識はそんなものかもしれないけれど、その人の歩んだ人生が魂になる」という話を書いたのが最高にアツかったりする。

 「ハーモニー」でトァンという女性がどこか悲しく胸を打ってしまうのは、彼女が偽物の優しさや思いやりに溢れてしまっている世界で、本当の優しさや思いやりに触れた瞬間、それを取りこぼしてしまうキャラクターだからなのだと思う。

 弱虫だと決めつけあまりよく思っていなかったキアンが、傍からみるとかなり危ういバランスだったミァハと自分を支え、自殺をやめさせようとしていたと分かった瞬間にキアンは死ぬ。また、自分を捨てて連絡もよこさなかった父親は、自分を庇って命を落とす。

 お話上悪役になるミァハも本当に哀しいキャラクターで、彼女の意識が単にエミュレートされた、言ってしまえば偽物だったことがわかる。彼女がそういう存在だったからこそ、偽物の思いやりで偽物の調和を保ってる社会を許せないというのはかなり切実な問題だったのだと思う。クライマックスで明かされる彼女の本当の目的も、トァンに指摘された通り「単に故郷に帰りたかっただけ」なのだろうし、笑顔で強姦された経験を語るシーンはどうしようもないくらい悲惨。なのだけれど、何千人もの命とトァンにとって大切な人を間接的に奪ってしまった彼女が、もう「こちら側に戻って来れない」ことが分かる場面でもある。

 トァンがそんな自分たちのことに思いを馳せていろいろな考えを巡らせていく旅の中、彼女は人間、つまり「わたしたち」が持つ意識についても知っていく。「意識」は単に肉体が持つ機能の一部で、高度な管理社会を築いた作中の人間にとってはとっくに耐用年数を超えてしまっていること。人間という生き物自体が、自分たちの作り上げた社会に耐えられなくしまっていること。

 同時自死事件や「宣言」が起こり世界が混沌としていくなか、そうした状況を経たトァンはとある決意をしてミァハと対峙し、ふたりの女性の物語はあの悲しくも美しいラストを迎える。そこで、トァンは「虐殺器官」のクラヴィスみたいにある意味で世界を終わらせてしまうのだけど、彼女がクラヴィスと違うのは、トァンが最初から一貫して「世界なんてどうでもいいしただ自分が納得する結末を迎えたい」というスタンスだからだと思う。結局どこまでいっても自分のことしか考えられないというのが、トァンの弱いところでもあるし強いところでもある。

 「ハーモニー」という小説はETMLEmotion in Text Markup Language)という架空の言語形式で書かれた物語ということに作中ではなっているのだけれど、ことあるごとに挿入されるこのHTMLみたいな形式の文が具体的にどういうものだったのかは最後の最後で明かされる。つまりはとっくに全部が終わった後にこの世界の誰かが書いたお話だということなんだということがわかり、ものすごく虚しくなる。結局はどうにもならなかった(というかどうにもしなかった)出来事を記録としてつづった物語だからだ。

 このラストは一見するとバッドエンドなのだけれど、人類全体でみると確かに幸福な結末でもあり、でもやっぱりものすごい苦さが残る。要するにしんどいときに読んだらやっぱり死にたくなるような話で、たぶん僕はそういう虚無感の残る話が好きなんだろうなあと思う。

 このユートピアの臨界点を描いた話を、伊藤計劃氏が癌の闘病中に病室で書き上げたということに対して思いを馳せずにはいられず、たしかに彼の言葉で命を持った人たちが作中で生きている、気がする。あんまり神格化してしまうのもどうなのかなとは思うけれど、やっぱりそういう理由でトァンとミァハというキャラクターが好きであったりもする。新作がもう二度と読めないのはやっぱり悲しい。

 読み終わったあと、作中のパステルカラーの光景がいつまでも心に残る。その中で人類の黄昏に直面した二人の物語をたぶんいつまでも忘れられないだろうなあと思う。

(担当 斧)

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中野店 斧

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