いやー、すっかり秋ですね。秋アニメも続々と開始する中、なんといっても『12歳。~ちっちゃやなムネのトキメキ~』の2クール目が始まりましたね。1クール目の1話を観た一部のTwitter界隈の克洋じゃない方の大友たちが、
「12歳のリアルのすべてが詰まっている」
「12歳。に比べると深夜アニメが子どもの遊びに見える」
「Aパート濃すぎる」
「作者、ブラと生理の話好きすぎない?」
「このペースだと3話くらいで妊娠してしまうのではないか」
とザワザワしたことも記憶に新しいあのアニメが帰ってきたのです。
2クール1話目は僕の大好きな蒼井結衣ちゃん回!「12歳...それは子どもでも大人でもない微妙な年齢。変わっていく体...変わっていく心...私たちは思春期の入り口で戸惑いながら大人への階段をのぼっていく...」結衣ちゃんによる12歳特有のポエムで開幕です。(スタンディングオベーション)
本編はいきなりブラのサイズの話から始まり、キス?で終わるAパート。1クール目1話とのデジャヴ感も相まって頭がクラクラしてきます。新キャラのチャラ男稲葉くんの登場で結衣ちゃんの貞操があぶない!でもそこは風呂屋の息子こと結衣ちゃんの彼氏、桧山くんが完全シャットアウト!1話は最終的に桧山と結衣ちゃんがイチャイチャして終わります。
その他にも、某お兄様を彷彿とさせる感情がなさそうな完璧イケメン高雄に、そろそろお姉さんの実在が疑わしくなってきた「お姉によると」が口癖の恋愛博士まりんちゃんなど、愉快な仲間たちによる日本で一番リアルな12歳の日常が展開されていきます。
最新の2話では、ただのチャラ男だと思っていた稲葉くんが実はいいヤツで、誠実な視線に見つめられた結衣ちゃんのハートと貞操がヤバい!的な感じになっており、ますます目が離せません。
まったく関係のない前フリが長くなり過ぎました。今回ご紹介するのはこちら。
『竜の学校は山の上 九井諒子作品集』 九井諒子 イースト・プレス 2011年
『ダンジョン飯』が「このマンガがすごい! 2016」オトコ編1位に選ばれ、飛ぶ鳥を落とす勢いの九井諒子先生の短編集になります。ちなみに『ダンジョン飯』は中野店でも3巻の発売と同時に全巻面出しをしている人気作です。
九井先生の作品は、大別するとふたつの作風が抽出できます。ひとつは、作品世界をファンタジー世界にして、そこに現実世界のリアリティとロジックを適用する作品。『ダンジョン飯』や、『竜の学校は山の上』の中では前半の「帰郷」「魔王」「魔王城問題」なんかはそうですね。
もうひとつは、世界観は現実世界なんだけどそこにひとつ大きな嘘(ファンタジーやSF要素)を導入し、結果的に現実世界の寓話になっているという作品群です。『竜の学校は山の上』では後半の「現代神話」「進学天使」、表題作の「竜の学校は山の上」がそれに当たります。
どちらの作風にも共通するのは、描写と設定のディティールの丁寧さによって獲得されるある種のリアリティです。リアリティ。それはとっても難しいなって。まあ、ここでは「現実っぽさ。現実の手触り。あらゆるパラレルワールドの中でこの現実世界との距離感が比較的近い」くらいの感じで使っています。余計わかりにくくなりましたね。リアリティ問題は僕の手に余るので次に行きましょう。
さて、『竜の学校は山の上』の中でも僕が一番好きな短編が、表題作の「竜の学校は山の上」です。舞台は現代。日本で唯一「竜学部」がある山奥の大学。昔は交通や運輸の手段として利用されていた竜ですが、科学技術が発達した現代ではコストがかかりすぎて利用価値のない絶滅危惧種。そんな竜を有効活用する方法をどうにかしてみつけようと日々奮闘しているのが、カノハシ部長率いる竜研究会。
だがそう簡単に見つかるはずもなく、やはり竜には利用価値はなく、ゆるやかに絶滅するに任せるしかないのか......という形でストーリーは進んでいきます。
というか、カノハシ部長かわいすぎでしょ!!!!
なぜある種のオタクは、白衣を着ててショートカットで中性的なキャラに弱いのかと小一時間考えましたが、ただの僕の趣味嗜好だったので答えは出ませんでした。『日常』の中村先生なんかもかなり好きです。でも『日常』だとはかせも白衣キャラだから、かなり手強いですね。何の話だっけ。
そうそうカノハシ部長かわいいって話ですね。そりゃ、はかせも中村先生も超かわいいんですが、『日常』は絵柄がデフォルメされてて物理法則も歪んでるので、完全に2次元キャラとしてのかわいさなんですよね。ここでさっきのよくわかんない「リアリティ」の話に繋がるんですが、「竜の学校は山の上」の世界は「竜」が存在するということ以外はほぼ現実世界と同じで、物理法則も歪んでいないません。比喩的に言うなら1,87次元くらいの距離感なんですね。いや冷静になれば漫画だし完全に2次元なんですけど、カノハシ部長みたいな人いそうだなーというか、都市伝説レベルでは存在したのでは?くらいの感覚なんですよね。いや、「都市伝説だったら存在してねーじゃねーか」というツッコミはわかるんですが、そうじゃねーんだよ!現実との距離感の問題なの!ここでは!!!でも別に現実に近いからいいという話ではないんですよ、はかせ超かわいいし。でもですね、各リアリティレベルによって引き出される魅力の違いみたいなものがあると思うんですよ。
はかせかわいい。でも現実にはいない。OK。
カノハシ部長かわいい。現実にはいない。だけど、はかせよりは現実世界に近いレベルのパラレルワールドにいそう。OK。
はかせのかわいさとカノハシ部長のかわいさは微妙に違う。それは単純にキャラクターの違いということ以外にも、リアリティレベル
の違いから自動的に要請されるものがあり、比喩的に言うなら......すいません、ちょっと思いつきません。
オッケーです。次行きましょう。
というわけで、基本的には竜の有効活用を模索する形で話は進んでいきます。人を乗せて空を飛べるヒリュウで日本一周してPRする計画や、竜の卵や肉を食用にできないか、愛玩動物としてはどうか。しかしどれも実現は難しそうな感じです。これらがダメな理由も、いかにも現実で無理筋な研究をしている理系研究者という趣があって、やはりディティールが素晴らしいです。基本的には大型の竜を維持するのにコストがかかりすぎるんですね。具体的な数字が出てくるのがいいです。
そしてかわいいだけじゃないカノハシ部長の孤独とかっこよさが語られるシーン。
カノハシ部長とよし子(ヒリュウ)の飛行シーンを挟んで、タイトルに引用した部長のセリフの続きが語られます。
世の中にはふたつのものしかない。それが何と何なのかは本編を読んでご確認ください。
カノハシ部長の生き方、研究とは何か、科研費とは何かが集約された一節になっています。
もちろんそのセリフによって、何かが解決したわけではないし、これからも解決されないのかもしれない。所詮はきれいごとかもしれない。しかし少なくとも、僕は背中を押された気がしましたし、カノハシ部長に一生ついていこうと思いました。
(担当:長谷川)
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中野店 長谷川